安房 勝山陣屋(鋸南町)

唯一残る遺構の井戸

酒井氏9代203年の陣屋

所在地

千葉県安房郡鋸南町勝山

形状

陣屋

現状・遺構等

現状:宅地
遺構等:井戸、標柱

満足度

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訪城日

2009/01/15

歴史等

元和3年(1617)、三河以来の譜代内藤清政が3万石をもって勝山藩を起こし、勝山城直下に陣屋が構えられたが、 1年で死去し、一時廃藩となったが、寛永3年(1626)、弟正勝が兄の遺領2万石を分与され立藩した。正勝も同6年(1629)に没し、 嫡男重頼はまだ2歳だったため1万5千石を除封され、5千石の旗本となり、勝山藩は消滅した。
寛文8年(1668)酒井忠国が叔父忠直(若狭小浜藩主) より1万石を分与され藩が復活した。以来9代203年に渡る酒井勝山藩(天和2年、1万5千石を数えたが、翌年弟忠成に3千石分知し、 1万2千石となった)の領地として明治に至った。
万延元年(1860)最後の藩主となる忠美が襲封し、明治元年(1868)勝山藩は加知山藩と改めた。同名の藩が越前国にあったためである。
『「藩と城下町の事典(東京堂出版刊)」、「大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)」ほか参照』

現況・登城記・感想等

勝山陣屋は八幡山(勝山城址)の直下(北東)にあったが、今では宅地の中に完全に埋もれてしまい、 車も通れないような細い路地に井戸が残っているだけである。
その井戸への路地入口に白い標柱が立っていたが、裂けてしまい「鋸南町教育委員会」の文字がかすかに残っているだけである。
(2009/01/15訪れて)

ギャラリー

標柱
井戸への路地入口に白い標柱が立っていたが、裂けてしまい「鋸南町教育委員会」 の文字がかすかに残っているだけである。せめて、標柱だけでも新しくしてくれればいいのにねえ!

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