主郭跡に立つ城址碑
石橋山合戦で敗れ逃れてきた源頼朝が拠った安西氏の居城?
所在地
千葉県南房総市池之内字平松
【行き方】
県道88号線と県道296号線が交わる交差点(三芳病院がある)を東へ1~2kmほど進み、池ノ内地区に入ると右上に「平松城址」の看板、
左側には標柱がある。この標柱のところの路地が登城口。
三芳病院:南房総市本織47、電話0470-36-2311
左側の平松城址標柱の手前の路地を入って行く。写真の左側に広い空き地があったので、
車はそこを拝借して駐車した。
形状
平山城
現状・遺構等
現状:山林(城跡として一部整備)
遺構等:曲輪、櫓台、石碑、標柱、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2009/01/15
歴史等
平松城は、通説によると治承4年(1180)源頼朝の安房入国の時、最初に参向した安房の豪族・安西三郎景益の城と言われる。
景益が当時、勝山城に居城していたとすれば頼朝が石橋山から逃れて、
猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸した8月29日に参向したはずであるが、「吾妻鏡」
に記されているように9月4日になって参向したことから考証して、景益の居館が池之内平松であったという説が大野太平氏によって唱えられた。
付近には木戸、御園、馬場畑などの地名が残っており、城の井戸として姫ケ井、松葉ケ井などの伝承がある。
また里見氏時代、その家臣・安西式部の館址とも言われている。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
平松城址は、登城口から主郭までの道はよく整備されている。
主郭は結構広いようであるが、冬にも関わらず相当な藪で中の方まで入って行くのは諦めた。
主郭の高い部分(南)には古峰神社が鎮座し立派な石碑が立っている。
主郭南には、ほとんど埋まっているようではあるが、堀切と櫓台らしき地形が見られる。
また主郭の東西には腰曲輪も確認出来る。
(2009/01/15登城して)
ギャラリー
城址への道
中央の小山が城址で、ここから700mである。
左奥に見える民家の手前を右へ曲がり道なりに進むと三叉路へと出るので、そこを右へ曲がって山の中へ入り堀底のような道を歩いて行く。
堀底道を進むと左側に城址看板、右側に説明板が設置されている。写真左側の切岸は石垣になっていたが、
綺麗に長方形に切られた石だったので、多分往時のものではないだろう。
虎口
いよいよ登城道である。道はよく整備されている。
二郭?
虎口から入ると左側に細長い削平地があり枇杷畑になっているが、二郭跡であろうか?正面奥の森が主郭である。
主郭
虎口から3~4分ほどで主郭へ出る。主郭には古峰神社が鎮座しているが、主郭の多く(神社の裏手)
は冬にも関わらず強烈な藪で途中まで入って行ったが諦めた。特に土塁等はないようだった。
㊧石碑、㊨標柱
神社の右奥(北東)には立派な石碑が建てられており、その裏には標柱も立っている。
石垣?
神社横に崩れた石垣があったが、これも往時のものではなく神社建立時に築いたものだろう?
櫓台
主郭南には、ほとんど埋まっているようではあるが、堀切と櫓台らしき地形が見られる。
主郭東下の腰曲輪
主郭の東西には腰曲輪が確認できる。
主郭西下の腰曲輪