上総 秋元城(君津市)

2曲輪から西尾根方面への土橋

里見氏の属将・秋元氏の居城、第2次国府台合戦敗北後に後北条氏により落城

別名

小糸城

所在地

千葉県君津市清和市場(秋元小学校北西2~300mに登城口)
秋元小学校:西粟倉35、電話:0439-37-2055
【アクセス】
西粟倉信号から秋元小学校の左(西)の道を北上し、2~300mほどで左側に標柱があり、右側には登城者用駐車場もある。

形状

山城

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、虎口、堀切、空堀、土橋、井戸、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2009/01/25

歴史等

秋元氏は下野守護職の宇都宮氏の一族の出自と言われる。嘉禄年間(1225~6)に宇都宮泰業が秋元庄を領して移住し、秋元氏を称したことに始まる。
秋元城は、室町時代後期に、里見義豊の命で臣下の秋元義正が築城したと言われる。
永禄7年(1564)1月、第二次国府台合戦で大敗した里見軍は安房に敗走、これを追走した北条氏は、上総の諸城を攻略し、6月には秋元城を陥落させ、城主秋元義久も討死した。
その後は、後北条氏の属城となったが、後北条氏の滅亡後、浅野長政が接収したのち廃城となった。

現況・登城記・感想等

秋元城跡は、よく整備されていると共に、余計な改変もされておらず、中世山城の姿を今に伝えている。
山麓の根小屋地区から山上の千畳敷までの幾つもの虎口、山上にあるにも関わらず非常に広い千畳敷、主郭部の段曲輪と大堀切、西尾根方面の土橋、土塁、井戸跡、堀切等々、遺構も良好に残り見所満載で見応え充分だ。
中でも、物見曲輪跡と思われる西尾根方面頂部の奥(西)の大堀切、さらにはその横下の岩盤を掘った畝堀は迫力満点である。
これだけの要害堅固な城も、後北条氏の前にあっさりと落城したとは!やはり、籠城は城の堅固さよりも采配する城主次第なんだなあ!
それにしても、想定を遥かに超える素晴らしい城跡だった。
(2009/01/25登城して)

ギャラリー

登城口
秋元城は、東西700m・南北450mに渡る中世の山城である。登城口には標柱が2本(もう1本は写真左方面)立ち、道の反対側(写真手前側)には駐車場も完備されている。
DSC05325

天然の水濠
城の北側は小糸川の支流が天然の濠となっている。尚、このすぐ川下には硫黄の湯が湧き出ているが、源頼朝がこの湯で傷を治したという地元の伝承があるそうだ。
DSC05332

登城口の上に立つ石碑
登城口の左土塁上には、簡単な説明付きの城址碑が立っている。
DSC05329

水堀跡
城の南側には水堀跡が残っている。これも地元の方が教えてくれて分かった。
DSC05330

根小屋
登城口から登るとすぐに塁段になった削平地へ出る。この辺りは、家臣が居住していた根小屋地区である。左の土塁の上を歩いて来る。
DSC05409

いよいよ山中へ
上写真の土塁上を手前へ歩いて行くと、いよいよ山城内へと登る。左側は空堀になっているようで、右奥上へと延びている。
DSC05334

最初の虎口
上写真の階段を登るとすぐ右へ曲がり、最初の虎口が現れる。この城址の階段は、ほとんどが岩盤を削ったもので、この山が岩山であることが分かる。
DSC05335

三番目に出会う虎口
最初の虎口から3~4分ほど登ると岩盤を削ったこの強烈な虎口へ出る。
DSC05341

千畳敷への虎口
さらに3~4分ほど登ると、一段と高い虎口が見えてくる。この虎口が千畳敷への虎口である。写真ではそれほどに見えないが結構急坂で、前日の雨で滑りやすくて・・・。
DSC05344

DSC05345

虎口を振り返って見る
千畳敷に登り、振り返って虎口を見たもの。両側の土塁が良好に残っている。特に、写真右側の土塁はしっかりしたもので櫓が建てられていたのではないだろうか?
DSC05349

千畳敷
虎口を入った所に標柱が立っている。千畳敷と云うだけあって、山上部にあるにも関わらず相当な広さを誇る。中央奥は主郭部(二曲輪)の土塁である。この土塁右側を通って主郭を目指す。
DSC05351

三曲輪
二曲輪へ登る途中から撮ったもの。左土塁上が二曲輪、右奥の出丸のような曲輪が三曲輪。
DSC05356

二曲輪
二曲輪は主郭より一段低く、あまり広くない。奥の土塁上が主郭。
DSC05357

主郭
主郭もそれほど広くはない。東側から北側にかけて土塁がめぐっているが、途中の角の部分が崩落してしまっているようだった。尚、この土塁は、よく見ると岩盤で出来ており、その上に土が被っているようだった。ちょっと登ってみたが、土塁裏は強烈な崖で、ビビッた(冷汗)!
DSC05359

主郭南側の大堀切
主郭周囲の東側半分は強烈な崖になっているが、空堀が掘られているようだ。 それにしても強烈な崖で覗くのも怖いくらいだった。
DSC05363

主郭周囲北東角の崖
DSC05372 DSC05369

段曲輪
主郭から撮ったもので、木の手前が主郭、その向こうが二曲輪、その奥が三曲輪。私は、段曲輪の光景が何とも言えず好きだ。写真では分かり辛いが、この段曲輪は、かなりはっきりしている。尚、三曲輪の右奥には土橋が架かっており、西尾根へと行ける。
DSC05360

土橋
土橋は10m弱で、右(北)側は腰曲輪、左(南)側は竪堀状の崖になっている。
DSC05375

西尾根の土塁
土橋を渡り、左(南)に土塁を見ながら進む。土塁の高さは2mほどで、登ってみたら横(南下)は強烈な崖だった。
DSC05376

物見台手前
50mほど進むと、物見台の下へ出る。右上は物見台。左へ行くと物見台奥の大堀切。尚、写真左のところに井戸があった。
DSC05379

井戸
井戸は岩盤を削ったもののようで、湧き出ていたというよりも雨水を溜めていたのだろう。また、井戸の左(南)側は土橋というか石橋になっている。
DSC05382

大堀切
井戸跡を通り過ぎ物見台奥へ行くと、大堀切が見えてくる。
DSC05384

大堀切を底から
大堀切は深さ10m、上部幅15m近くあるだろう。
DSC05385

大堀切底から物見台側を
下から物見台を仰ぎ見ると垂直にそそり立つ崖が強烈だ!実際は写真より遥かに迫力が!
DSC05394

畝堀
この畝堀は、大堀切の横(南)の急崖下にある。畝堀・障子堀と云えば、伊豆山中城に代表されるように、後北条氏の十八番であるが、ここのは岩盤を削っているのが特徴で、一見の価値あり。
DSC05388

物見台?
西尾根の奥の最も高い所にある曲輪跡で、八幡社の小さな石の祠があるが、ここは往時は物見台だったのであろう。あまり広くはなく、二段になっている。
DSC05405

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント