川連天満宮境内の南隣に建つ城址碑と説明板
応仁年間(1467~69)に川連氏により築かれた平城
所在地
栃木市太平町川連、片柳町
【アクセス】
県道11号線「川連交差点」の南西に*川連天満宮がある。天満宮の南隣県道11号線沿いに石碑と説明板がある。駐車場は無いが、
境内に車を停められるスペースがある。
*川連天満宮:大平町川連516
形状
平城
現状・遺構等
現状:住宅地、田園
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2010/11/20
歴史等
川連城(かわつれじょう)は、伝承によれば、応仁年間(1467~69)に川連仲利によって築城されたという。
永禄6年(1563)に皆川城主・
皆川俊宗が当地を領し、皆川城の支城としたという。
天正6年(1578)、川連仲重のとき、粟野城(鹿沼市)の城代・平野大膳亮久国と戦って敗れ、仲重は討死し、
川連城には当時佐野氏の旗下であった平野氏が居城したが、のち再び皆川氏の手に戻った。
『とちぎの古城を歩く・塙静夫著(下野新聞社刊)より』
現況・登城記・感想等
川連城は、川連天満宮境内を南端とし、この神社から県道11号線を挟んで東方から北東にかけた東西約400m、
南北約450mに及ぶ範囲であったという。
往時は、本丸を中心にして3重に堀がめぐり、本丸(東西68m、南北50m)・二の丸・三の丸からなる城郭だったようだが、
今では宅地や田園となって跡形もなく、天満宮境内の南隣に石碑と説明板が立つだけだ。
(2010/11/20訪れて)