登城道中間点辺りから城址(山頂)を眺める
藤姓足利氏の祖藤原成行が築城、戦国期には上野上杉方の武将長尾氏の居城に
読み方
りょうがいさんじょう、りょうがいざんじょう
別名
足利城
所在地
栃木県足利市本城1丁目、西宮町
形状
山城(標高251m 比高220m)
現状・遺構等
【現状】山林
【遺構等】曲輪、石垣、堀切、標柱、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2008/02/28
歴史等
両崖山城は、平安時代の天喜年間(1053~58)、藤原秀郷の子孫藤原成行(藤姓足利氏の祖)により築城されたと伝えられる。
成行は、はじめ伊勢崎渕名城主であったが、天喜2年(1054)足利に入部し、両崖山に築城し、足利氏を称した。以来、その子孫がこれを継いで130年間足利荘を治めた。
丁度、その頃奥州に乱が起こり、天喜4年(1156)、源頼義・義家父子が平定に出発した。源氏の軍勢は、足利浅間山(せんげんざん)の南麓を中継基地とした。これがもととなり、源姓足利氏が発生した。
治承4年(1180)源平合戦が始まると、源姓足利氏の棟梁源義兼は挙兵し、頼朝の側近として活躍した。一方、藤姓足利氏は立場上、時の政権の平氏に従ったが、敗北し藤姓足利氏は滅亡し、足利荘は源姓足利氏のものとなり、藤姓足利氏の本拠であった両崖山城は廃城となった。
その後、足利は古河の公方軍と上野の上杉軍との戦場となった。
この廃城となっていた両崖山城に着目したのが、上杉方の武将長尾景長である。景長は永正年間(1504~21)、両崖山城を改修して、本拠を岩井山城から移した。その後、後北条氏が関東を掌握すると、景長はこれに屈したが、上杉謙信が関東に進出すると、足利長尾氏3代目政長は、同じ長尾一族である謙信に与した。
しかし、養子顕長(金山城主由良成繁の子)が相続すると、成繁とともに後北条氏に与し、配下となった。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際には、顕長らは小田原城に籠城したが、後北条氏とともに、足利長尾氏も滅亡し、両崖山城も廃城となった。
『「とちぎの古城を歩く・塙静夫著(下野新聞社刊)」、「現地説明板」より』
現況・登城記・感想等
両崖山城本丸へは、織姫公園から登山道が伸びている。公園駐車場から本丸まで1.6kmとなってはいるが、駐車場からの比高差は130mほどで、たいしたことはなく約40分ほどで到着する。
溶岩剥き出しで、ゴツゴツして、しかもアップダウンが激しい尾根道は決して歩き易いとは言えないが、どこからも眺望は良く(尤も、葉の落ちきった冬のせいもあるかもしれないが)、非常に気持ちよく歩ける。
両崖山城は典型的な放射状連郭式山城で、頂上部に本丸を備え、そこから南・北・西の三方へと延びる尾根を幾つかの堀切で断っている。
かなりの時間を要する割には、遺構としては見所は少なく、本丸周囲(北側と西側)の堀切と本丸100mほど南下の展望台(物見台?)の所の堀切くらいのものである。
ただ、ハイキングコースとしては実に素晴らしく、久し振りに城址めぐりで多くの人に出会った。
また、下山時に自転車(マウンテンバイク)を担いで登る高校生4人のグループを見かけたが、頂上から自転車で降りて来るのだという。この岩だらけの道がモトクロスをやるのに適しているのだろう。若いねえ!!羨ましいねえ!!
(2008/02/28登城して)
ギャラリー
両崖山城縄張略図(本丸下の腰曲輪に設置された案内板より)
両崖山城は山頂部の本丸、南・北。西の三方の尾根に造られた段曲輪と堀切等からなっている。
登城道
溶岩剥き出しで、ゴツゴツして、しかもアップダウンが激しい尾根道は決して歩き易いとは言えないが、どこからも眺望は良く(尤も、葉の落ちきった冬のせいもあるかもしれないが)、非常に気持ちよく歩ける。
登城道等からの眺望
兎に角、眺望は登城道のどこからも、またどの方角の眺望も素晴らしい。
物見台?が見えてくる
正面の岩の手前には、埋められて(或いは埋って)浅くはなっているが、堀切があったらしく、両側が竪堀となって山裾へ繋がっていた。
物見台?すぐ上の堀切(堀切上から撮影)
この堀切は規模は大きくはないものの、岩を削った堀切で荒々しさを感じる。
本丸南下の腰曲輪への石段
石段手前には埋められて(埋って?)浅くなってはいるが、よく見ると堀切が確認される。
石段最上部の虎口の石垣
石段上の腰曲輪への虎口の両側?(左側は自然の石?かも)には石垣が残っている。
本丸南下の腰曲輪(正面の石段上が本丸跡)
腰曲輪にはお稲荷さんが祀られており、標柱と縄張図の付いた説明板が設置されている。
本丸
本丸には御嶽神社が鎮座し、いろんな石碑等とともに簡単な説明板もある。
本丸北側の石垣
本丸には石垣がかなり使われていたようで、周りに石が転がっているのが散見されたが、ここ(北側堀切から本丸へ登る階段の途中)に石垣が唯一残っていた。
本丸北側の堀切
深さ8m、幅20mほどもある巨大な堀切である。
モトクロス
下山時に自転車(マウンテンバイク)を担いで登る高校生4人のグループを見かけた。聞くと、頂上から自転車で降りて来るのだという。この岩だらけの急坂道がモトクロスをやるのに適しているのだろう。青春を楽しんでるねえ!!