上野 金山城(太田市)

大手虎口

関東七名城の一つである堅城・金山城は、関東では珍しく石垣の多い山城

別名

太田金山城

所在地

群馬県太田市金山町40-98

形状

山城(標高235.8m)

現状・遺構等

【現状】 山林(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、土塁、石垣、堀切、虎口、井戸、復元木橋、石碑、説明板

【国指定史跡】
指定日:昭和9年12月28日、追加指定:平成14年9月20日

満足度

★★★★★

訪城日

2006/09/23

歴史等

金山城は南北朝時代、足利尊氏と新田義貞による攻防の舞台となったとも伝えられるが、一般的には、文明元年(1469)、新田一族の岩松氏によって築かれたとされている。
文明3年(1471)4月、古河公方足利成氏は8千の兵で金山城に押し寄せ、70日間攻め続けたが攻略することが出来ず撤退した。金山城は築城早々に難攻不落の城であることを天下に轟かせたのである。
しかし、家老の横瀬氏が次第に主家を凌ぎはじめ、下剋上が成功した。永禄6年(1563)頃、横瀬氏は、成繁の代に姓を由良に改めた。成繁は南に北条氏、北に上杉氏、東は佐竹氏、西には武田氏と四者の脅威にさらされながらも、金山城を拠点に上杉氏や後北条氏と同盟を結んだり破棄しながら、周辺の支配に腐心した。その間、上杉氏や後北条氏が金山城に攻め寄せたが、そのたびに撃退している。
しかし、成繁の子国繁の時代になると、後北条氏の勢力は、さらに強大なものとなり、天正12年(1584)国繁は和を結ぶため小田原城に赴いたものの、身柄を拘束されてしまった。後北条氏は主のいない金山城を攻めたが落とすことが出来ず、国繁を解放することを条件に城を手に入れた。
天正18年(1590)の秀吉による小田原征伐に際して、後北条氏は戦わずして金山城を放棄した。
ちなみに、由良氏は国繁の母・妙印尼の働きにより豊臣方前田利家軍に加勢し、松井田城攻めに加わったので、秀吉により常陸国内(牛久)に5千石余の領地を与えられ命脈を保っている。江戸時代、由良氏は嗣子なく断絶となるが、その由緒や関が原・大坂の陣の功績により牛久・谷田部(つくば市)に1千石で再興した。
明治8年(1875)、実城域の天守曲輪(本丸)跡に新田義貞公を祀った「新田神社」が創建された。
『日本の名城・古城もの知り事典(主婦と生活社刊)より』

【関東七名城】
唐沢山城(栃木県佐野市)、常陸太田城 (茨城県常陸太田市)、厩橋城(群馬県前橋市)、宇都宮城(栃木県宇都宮市)、川越城 (埼玉県川越市)、忍城 (埼玉県行田市)とこの金山城を指す。

現況・登城記・感想等

関東七名城の一つ金山城は、関東の山城には珍しく石垣がかなり多く使われています。金山城は金山山頂にある実城を中心に放射線状に延びる尾根上築かれた、北城(坂中)・八王子山の砦・西城の4つの城からなります。
平成4年から発掘調査が行われ、平成6年から実城を中心に史実に忠実に復元がされてきており、それぞれに説明板があり非常に分かり易い。
曲輪、土塁、堀切、物見台等々の遺構が非常によく残り、また石垣の復元もよくされています。中でも、物見台下虎口(馬場下通路土橋の手前から見る)石垣や大手虎口から見る石垣は圧巻です。
また物見台下虎口手前の岩盤を削って掘った堀切や、馬場曲輪横の大堀切も見事です。
また物見台からは勿論のこと、南曲輪や本丸からの眺望も素晴らしい。
西城は、まだ復元事業は進んでいないようでしたが、土塁や虎口も多く残っています。今後、整備事業がされていくのであろうが楽しみです。
まさに関東屈指の名山城である。
(2006/09/23登城して)

ギャラリー

【実城】
【金山城実城鳥瞰図】(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大~
太田金山城鳥瞰図

本城大手口
金山城跡へは山頂付近の西城近くまで車で行けます。道の途中に本城大手口があります。この道を登って行くと、南曲輪下を通り大手虎口付近まで登って行けるようです。
大手口

【金山城実城周辺鳥瞰図】 (現地説明板より)
金山城鳥瞰図

城址碑
登り切ったところ(西城の東側)には駐車場があり、そこに城址碑が立っています。ここから、東へと実城を目指して登城します。
城址碑

旧通路
実城へ向かうと右下に帯曲輪状の削平地がありますが、西矢倉台西堀切内の通路よりも古い通路があったようです。虎ロープで入れないようになっていました。
旧通路

西矢倉台西堀切
この堀切は西城から実城(本丸)までの間にある4つの堀切のうち、一番西寄りにある堀切で、堀底に石を敷いて通路としても利用していました。
西櫓台西堀切

西矢倉下堀切
この堀切は実城(本丸)へ向かう間の2番目の堀切となります。この堀切は規模は小さいが、断面の形が上部が逆「ハ」の字で、下部が箱状(凵)に掘られ、簡単に登れないように工夫されています。
西櫓台下堀切

西矢倉台跡
西櫓台

西矢倉台からの眺望
西矢倉台からは南方面が開けています。
西櫓台からの眺望

【馬場下通路(物見台下虎口)】 ~現地説明板より~
実城を目指して向かうと、立派な石垣で築かれた虎口が現れます。虎口の手前は岩盤を掘削した堀切で断ち切られ、そこに土橋が架かっています。土橋を渡って虎口を抜けて石敷き通路を進んでも、またまた堀切で遮られます。こちらの堀切には木橋が架かっていたようです。まさに万全の防御ですね。 
馬場下通路

物見台下虎口(馬場下通路)と堀切に架かる土橋(石橋)
通路の正面には石積みが立ちはだかり、その先を見せないように工夫されています。左側は岩盤を削った堀切で、右側は竪堀となって落ちて行ってます。 
物見台下虎口

馬場下通路の土橋横の岩盤を削った堀切(右側岩の上は物見台)
岩を掘削した堀切の荒々しい岩肌は、強烈なインパクトを与えます。
堀切

石敷き通路
土橋(石橋)を渡って、虎口を抜けると石敷きの通路へ出ます。通路の向こうは、またまた堀切で断ち切られ、そこに木橋(写真左奥)が架けられています。
石敷き通路

復元木橋
木橋の下の堀切は、竪堀となって落ちて行ってます。
復元木橋

竪堀
橋の上から撮ったものですが、見事な竪堀です。
竪堀1

竪堀
上写真の竪堀の下から撮ったものです。竪堀は下から見上げた方が分かりやすいですね。
DSC03380

大手口馬場跡
馬場下通路を進むと、馬場跡へ出ます。写真奥に見えるのは物見台跡です。
馬場跡

物見台
物見台

物見台からの眺望
さすがに物見台です。眺望が素晴らしい!!
DSC03308

DSC03309

馬場曲輪(大手馬場から撮影)
馬場曲輪1

大堀切
馬場曲輪の奥、即ち、主郭部(本丸・二の丸・三の丸)の手前は大堀切で断ち切られています。この大堀切は、金山城の中でも最も主要な防御拠点である大手虎口の目前にあるため、長さ約46m、堀幅約15m、深さ約15mと大規模に造られています。
DSC03327

石積みの防御(大堀切内)
大堀切の堀底には、長さ約7m、高さ1.5m、幅約1.8mの石積みで出来た畝状の防御施設が1箇所見つかりました。堀底が平らになっていることで敵の侵入経路にならないように障害物として造られたようです?
石積みの防御

馬場曲輪と大堀切(月ノ池手前から撮影)
写真左上が馬場曲輪、その右に大堀切。
馬場曲輪3

月ノ池
月の池は、直径7m、深さ2.5mで、上下2段の石垣で囲まれ、石敷き平底で構成された戦国時代の池です。
月の池

月ノ池手前から大手虎口方面を
ここから、いよいよ石垣群が現れます。
月の池から大手虎口方面を

【大手虎口周辺鳥瞰図】
DSC03336

大手虎口
大手虎口

大手通路
大手虎口から入り、振り返って撮ったものです。大手虎口から入ると堀底道となった通路になっています。
DSC03341

大手虎口曲輪の石垣群と井戸
通路から入ると、周囲には石垣群が現れます。当写真は、その左(北)側を撮ったものです。井戸は、虎口曲輪で生活していた武士達が使用していたと思われます。井戸底には補強の為の木枠が残っています。
DSC03343

大手虎口曲輪全景
南曲輪上から北西方面を撮ったもので、写真左が大手虎口になります。
DSC03357

日ノ池 
15m×16.5mのほぼ円形の池で、石垣や石敷き、2箇所の石組み井戸と石段が発見された。日ノ池は、山の上では稀な大池であり、金山城の象徴的な場所のひとつである。生活用水を確保した場所ではなく、戦勝や雨乞いなどの祈願を行った儀式の場所であったと考えられる。
日ノ池

南曲輪
南曲輪

南曲輪からの眺望
南曲輪からの眺望は素晴らしく、澄み切った晴れの日には、遠くに富士山まで見えるようですが、今日は残念ながらやや霞が・・・。
南曲輪からの眺望

御台所曲輪
南曲輪から御台所曲輪を通って天守曲輪へ向かいます。 
本城

天守曲輪への石段
写真右の楠木は大変な巨木です。
DSC03365

天守曲輪
天守曲輪は、本城最高位の郭で、戦前は本丸と言われました。この郭は金山城鎮護の神聖な地域であり、源氏の守り神である八幡宮が祀られていました。明治8年(1875)、新田義貞を祀った「新田神社」が創建されました。
本丸跡

隅櫓跡
天守曲輪北西には隅櫓形式の大建造物があったそうです。

隅櫓跡

天守曲輪からの眺望
天守曲輪からの眺望

【西城】
筋違虎口城門跡
二重の堀切(右手前と左奥)と土塁によって構成されています。
DSC03387

土塁
西城跡には、多くの土塁や空堀等々が散見されます。現在、発掘調査中で、近い将来解明されることでしょう。
DSC03388

虎口
虎口らしき切り通し形状もあります。
DSC03390

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