館跡とされる総持寺
鎌倉時代の新田宗家の館
所在地
群馬県太田市(旧尾島町)世良田町3201-6、総持寺
形状
館
現状・遺構等
現状:総持寺
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2008/02/28
歴史等
鎌倉時代の世良田は新田庄の経済的、文化的中心であったところからみて新田宗家の館はここにあったと考えられる。
元弘3年(1333)、北条高時は世良田に莫大な軍資金を課し、使者を派遣して無法な譴責(けんせき)を加えた。義貞は
「わが館の辺を雑人の馬蹄にかけさせつることこそ無念なれ」と怒り、これを捕えて一人は世良田の里に梟首した(太平記)。この「わが館」
がここであろう。
また、建久4年(1193)源頼朝が那須野・三原の狩の帰途に遊覧した(吾妻鏡)新田館もここであると思われる。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
遺構は全く残ってはいないが、新田氏発祥の地かと想うと感慨がある。
また、跡地に建つ、総持寺の山門・梵鐘・本堂はなかなか見応えがある。
(2008/02/28登城して)
ギャラリー
山門と梵鐘