高山社発祥の地に建つ長屋門
秩父平氏の裔・高山氏の居館
所在地
群馬県藤岡市高山
形状
館
現状・遺構等
現状:高山社発祥の地の遺産建物(世界遺産暫定リスト記載)
遺構等:不明
満足度
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訪城日
2008/03/09
歴史等
高山氏の祖は秩父平氏、権守重綱の三男高山重遠である。
重遠は源義朝に属して、高山庄を食み、その子重久が一時木曽義仲に加勢して、養和元年(1181)6月、北国合戦に上州高山党の首領として、
信州横田川原合戦で活躍した。さらに、文治5年(1189)7月には源頼朝の奥州の藤原泰衡追討に従って戦功を顕した。
その高山氏が住んだのが高山館で、後に高山の反対側(北側)の金井に本拠を移したようである。
『興禅院高山氏墓地説明板他参照』
現況・登城記・感想等
高山館は、高山城址の南麓に位置している。今も石垣の上に立派な長屋門が建ち、旧家の面影を残している。
高山氏の末裔は幕末から明治時代に、高山社を設立し、養蚕産業の発展に大きく寄与し、館跡は
「世界遺産暫定リスト記載富岡製糸工場と絹産業遺産群」の「高山社発祥の地」となっており、館前にその説明板が設置されている。
個人の所有地であり館内には入れないが、館から200mほど西にある興禅院から館全体を望むことが出来る。また、
興禅院には高山氏代々の墓がある。
(2008/03/09訪れて)
ギャラリー
興禅院から高山館を(左手前の山は高山城)
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