越後 加護山城(村上市)

加護山城主曲輪の望楼台跡

上杉謙信の股肱の臣・色部氏の平林城の詰の城

所在地

新潟県村上市平林
【アクセス】
国道7号線の「平林信号」から東へ入り東進すると平林城の案内標識があるので分かると思います。山麓に駐車場があります。

所要時間

平林城二の丸跡から本丸まで約35分、見学時間は平林城も含めて約2時間でした。

形状

山城(標高281m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、土橋、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2015/10/24

歴史等

平林城は山麓の館城(居館)と背後に聳える要害山に築かれた詰の城・加護山城から成る。加護山の由来は、領国「加納庄を護る山」との意味からくるという。
色部氏は関東秩父の畠山氏一族で、嘉禄の昔(1226年頃)、鎌倉幕府の地頭として入部し、16代約400年間にわたり加護山城に君臨した。
永正5年(1508)5月24日、第11代城主色部昌長は越後守護上杉房能を助けて守護代長尾為景に対して兵を挙げた。これに対して長尾方は中条藤資・築地忠基らの連合軍をもって攻撃してきたが、昌長の要塞の地を利用しての抗戦に遭った。攻めあぐんだ長尾方は密かに間者を加護山城内に侵入させ、火を放って焼き払う挙に出たたため、昌長は遂に長尾方に降伏し、加護山は廃城となった。
『「現地説明板」、「現地パンフレット」参照』

現況・登城記・感想等

加護山城は、麓に築かれた平林城(居館)の詰の城です。
加護山城へは、平林城(居館)の二の丸東側の土塁の切れ目から登って行きます。
登城道はハイキングコースとして整備されています。最初はなだらかな道を城戸門跡・馬洗い場・首切清水を経て、途中から急斜面の七曲り坂を登り山頂部尾根上の主曲輪へ辿り着きます。
尾根には主曲輪を中心に3つの曲輪が連郭式に築かれ、その間を堀切で断ち切っています。
また、これら主郭部の西の方に物見曲輪(物見山)があり、その登り口が堀切で断ち切られ、土橋が架かっています。
尚、三ノ輪山山頂に、さらなる詰の城が築かれていたようですが、今回は時間の関係で行きませんでした。
(2015/10/24登城して)

ギャラリー

平林城(居館と詰城) ~現地案内板より~
平林城

【登城記】
加護山城跡への登城口(平林城二の丸東側の土塁)
加護山城へは、平林城(居館)の二の丸東側の土塁の切れ目から登って行きます。尚、切れ目には案内がないので虎口ではなく、往時の登城口は別にあったのかもしれません。
中曲輪土塁

城戸跡
登城口(平林城二の丸東側土塁の切れ目)から、なだらかな坂道を4分ほど登ってくると城戸跡へ出ます。館から山城へ向かう時の最初の曲輪で門があったと考えられます。
城戸門跡

馬洗い場
城戸跡から、さらになだらかな坂道を6~7分ほど登って来ると馬洗い場へ出ます。加護山城跡の山麓には馬洗い場が幾ヶ所もあり、ここも通称「長辺田」と呼ばれる馬洗い場でした。戦国時代、加納には粟島に棲息したと伝えられる粟島馬は、小柄な上、足が速く気性の激しい戦闘的な馬であっので珍重されたそうです。。尚、殿屋敷(平林城本丸)とは古道でつながっているそうです。
馬洗い場

首切り清水
馬洗い場から、さらに10分ほど登って来ると、首切り清水へ出ます。要害山の中腹の絶えず水が湧き出ているところです。「罪人の処刑場」という伝承が名前の由来です。 尚、ここから右へ曲ると「のろし山」へ向かいます。
首切清水

七曲りへ
首切り清水から8分ほどで七曲り坂への登り口になり、その手前に加護山城についての説明板が立っています。いよいよ、ここからは急傾斜のため、九十九折れの道になります。
七曲りへ

主郭部と物見山の分岐
七曲り坂を2分ほど登って行くと、主郭部と物見山への分岐へ出ます。まずは、主郭部目指して左へ・・・。
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加護山城切岸
分岐から3分ほど登って行くと、左手に詰の城・加護山城主郭部の切岸が見えています。
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堀切
左上に切岸を見ながら歩いて行くと、左手に堀切が現れます。主曲輪の西側を断ち切る(主曲輪と2郭間の)堀切です。
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上写真で見ると、堀切は大したことがないように見えますが、主曲輪側上までは、かなり急傾斜で堀底から高さ4mほどあります。
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腰曲輪
さらに切岸に沿って歩いて行くと、腰曲輪が現れます。主曲輪の望楼台下の腰曲輪です。左の方へ登って行くと主曲輪へ出ます。
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主曲輪
主曲輪は3段ほどになっています。写真奥がTOP写真の望楼台です。
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望楼台からの眺望
望楼台から見下ろす眺望は素晴らしいのですが、なにぶん天気が・・・(;>_<;)。
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望楼台東側の堀切(主郭の東側を断ち切る堀切)
堀はかなり埋まってしまっているようですが、それでも左側の主曲輪望楼台とはかなりの比高差です。
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加護山城東端を断ち切る堀切
写真では分かり辛いですが、両側は削られ竪堀となっています。
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物見山への堀切と土橋 
主郭部を見たあと、七曲り坂途中にあった分岐点に戻り、物見山へ向かうと堀切があり、土橋が設けられていました。
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物見山
物見山だけあって、周囲の眺望は開け、景色は素晴らしいのですが、あいにくの天気で・・・(/。ヽ)。
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