信濃 松代城(長野市)

本丸南面(太鼓門と内堀に架かる太鼓門前橋)

武田信玄が上杉謙信に備え築城、後に真田氏10万石の居城に

別名

海津城、川中島城

所在地

長野県長野市松代町松代35、松代城公園

形状

平城

現状・遺構等

【現状】 城址公園 (国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、天守台、石垣、土塁、堀、復元井戸、復元二の丸南門石垣、復元太鼓門前橋、復元太鼓門、復元太鼓櫓門、復元北不明門、石碑、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

1996/05/03
2006/04/30

歴史等

松代城は、武田信玄が信濃に進出し、越後の上杉謙信に備え築いた「海津城」が前身である。信玄は重臣・高坂昌信を城に置き、上杉謙信に対峙した。
12年の長きにわたって争った川中島合戦のうち、最も激しかった永禄4年(1561)の第四次川中島合戦のとき、ここに本陣を置き、山本勘助発案による有名な啄木鳥戦法(事実かどうかは不明な点も多いが)で戦ったのが有名である。
武田氏滅亡後は織田信長の部将・森長可が城主となったが、本能寺の変後は上杉景勝の所領となり、景勝が会津へ移ると田丸直昌が川中島城主となった。
以後、森忠政(長可の弟)、松平忠輝、松平忠昌、酒井忠勝と代わった。なお森忠政の時、城を改修して「待城(まつしろ)」と改名され、松平忠輝の時に「松城」と改名された。
元和8年(1622)、真田信之が上田城より13万5千石で入封し、真田氏が10代続き明治を迎えた。
『参考資料:大名の日本地図・中嶋繁雄著(文春新書刊)』

感想等

武田信玄の海津城でもあり、真田家の松代城でもあり、大いに期待をしての登城でしたが、野っ原の真ん中に本丸部分だけが残り、野面積みの石垣がやはり野面積みの大規模な櫓台を囲んでいるといった記憶があるだけです。 
しかし、近くには川中島合戦場跡があったりして歴史に想いをはせることができ、さらにすぐ傍には真田氏邸跡、松代藩文武学校、真田宝物館があり楽しく見学出来ます。
(1996/05/03登城して)


10年ぶりに登城しましたが、すっかり様変わりして太鼓門・北不明門・埋門をはじめ3つの橋(太鼓門前橋・二の丸引橋・東不明門橋)や井戸まで復元されていました。
すべてが、あまりにも新しいので戸惑ってしまいましたが、かなり忠実に再現されているようです。
(2006/04/30登城して)

ギャラリー

松代城鳥瞰絵図(現地説明板より)
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新堀
あまり手が付けてなく何となくほっとします。

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北不明門と井戸 
北不明門は、本丸搦手門で、当初は千曲川に接していたので「水の手御門」とも呼ばれました。井戸は千曲川改修後に造られた井戸で、絵図をもとに再現されました。
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北不明門(表門
北不明門は、太鼓門と同様に表門と櫓門の2棟による枡形門形式です。
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北不明門(櫓門)
櫓門は石垣に渡らずに独立しており、中世的な様相を呈した松代城の特徴的な門です。
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東不明門橋と東不明門
東不明門前橋は発掘調査により折れた橋脚は発見されましたが、詳細な絵図史料は確認できませんでした。橋を渡ったところには櫓門の東不明門がありましたが、当時の門礎石は保護のために地表30cm下に埋設し、レプリカの門礎石で門のあった位置を示しています。背後に見える櫓門は太鼓門(復元)です。
東不明門前橋

本丸東側の内堀
本丸周囲の内堀も復元されたもののようです。
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本丸東側の二の丸
この辺りは、96年当時と大違いで綺麗に整備されています。
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二の丸石場門
二の丸の東側の虎口の石場門も、実物は地中に埋設し、レプリカにて一を示しています。
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二の丸南門と太鼓門
手前の石垣が二の丸南門で、その奥に見えるのが太鼓門。
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二の丸(南側)周囲の土塁と太鼓門
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太鼓門と内堀
前回の登城時(1996/05/03)には、写真左側の石垣が残るだけで、その前は駐車場になっていましたが、石垣が全面的に修復されたのみならず太鼓門とその前の内堀も復元されています。
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前回の登城時(1996/05/03)の太鼓門周辺の風景
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太鼓門と太鼓門前橋
太鼓門は表門と櫓門の2棟による枡形門形式です。
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太鼓門(櫓門)と枡形
太鼓門の櫓門は、本丸の櫓門の中で最も大規模です。
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埋門
本丸西側の二の丸を囲む土塁にはトンネル状の埋門が絵図をもとに景観のみ再現されています。
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本丸北西の櫓台(本丸内から) 
本丸の北西隅には大規模な櫓台が残っています。規模が大きくて、櫓台というよりも天守台といった感じです。北東部だけ多少修復がされているようですが、1996年の登城時にも、この櫓台だけがしっかり残っていたのを憶えています。
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前回登城時(1996/05/03)に撮った櫓台
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本丸北西部櫓台(二の丸側から)
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櫓台上から本丸を
奥に見えるのは太鼓門です。
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櫓台上から北不明門を
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城址碑
櫓台脇に立つ城址碑には「松代城」でなく「海津城」と刻まれています。
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武者走り
本丸周囲を囲む石塁には武者走りも復元されています。
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コメント

戦国山城大好き(2013/05/05)

1日目家を朝6時過ぎに出て
いつもなら、4時間で着くのに
所々渋滞にはまり約9時間半掛かった(*_*)
上信越の松代インターに近づいた時、右手に
城跡が見えて、やっと着いたと安堵した(^o^)
綺麗に整備され、近くには鞍骨城跡が見えたが
時間的に無理なので見るだけ(´・ω・`)

タクジロー(2013/05/06)

予定の2倍以上の9時間半は大変でしたね。
鞍骨城跡は、私も、登城したい山城の一つですが、どうも熊の出現率が滅茶苦茶高いようなので・・・(汗)。
一人や二人で登るのは心もとないので、希望者を募っているのですが、集まりません(苦笑)。

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