信濃 松尾古城(上田市真田町)

主郭とその周囲をめぐる石垣

幸隆前後の真田一族の城と伝わる急峻な山城

所在地

長野県上田市真田町長
【アクセス】
国道144号「横沢」信号から南へと県道4号へ入ります。700m程南下した信号を左折し、角間渓谷方面へと東進すると左手に「日向畑遺跡(案内あり)」があり、ここから登城道があります。車は道の余白を捜して停めました。

形状

山城(標高1033m、比高196m)、遠見番所は標高1270m

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、石垣、堀切、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2004/04/28
2016/05/31

歴史等

松尾古城は増尾山から延びている尾根筋の先端部に位置し、南側には角間渓谷を源とする角間川が流れ、西方で四阿山を源とする神川と合流している。城の南側の角間川に沿った道は角間峠を越えて群馬県へと通じ、城の西側の道は鳥居峠を越えて群馬県へと抜ける上州街道が通っている。
松尾古城は、この群馬県へ通じる2つの街道を押さえる交通の要衝に真田幸隆が築いて居城とし、真田氏を称したとされ、真田氏発祥の地とされているが、実際の所は不明である。
城跡の南麓の、日向畑地籍に真田氏の最初の居館跡と菩提寺跡がある。ここ「日向畑遺跡」で、昭和46年(1971)の発掘調査で、室町時代から戦国時代にかけての石造宝篋院塔・五輪塔・鉄器・古銭・土器・石器などが出土した。真田氏に関係する一族の墓と推定され、天文10年(1541)海野一族が武田信虎に攻められて、上野国へ逃亡した際に埋められたものらしいとされているが、否定説もあるようである。
全て肯定説のほうが楽しいですがね(*^_^*)。
『「別冊歴史読本・真田幸村(新人物往来社刊)」、「長野の山城・中井均編(サンライズ出版刊)」ほか参照』

現況・登城記・感想等

真田ファンとしては、真田幸隆が築いたという言い伝えがあるとあっては是が非でも登城したい山城です。
松尾古城は真田郷の奥まった角間渓谷の入口に位置する険しい山に築かれています。
松尾古城の特徴は、主郭周囲を取り囲む石塁をはじめ、尾根筋に築かれたおびただしい数の石塁でしょう。
この信州の山城に多い平べったい割石による布積みの石塁は、当山で採れる板状節理(岩石中に発達する平らな板のような規則正しい割れ目)の発達した輝石安山岩で築かれているとのことですが、狭くて急峻な上、安山岩質の岩盤が露出した尾根筋を立ち塞ぐ石塁は質素ですが迫力充分で、近世の整った石垣とは違った魅力があります。
また、主郭背後を断ち切る大堀切も迫力満点です。
尚、大堀切の奥の尾根の頂部には遠見番所跡が残っているようですが、更に40~50分ほど登るようなので、今回も断念(/。ヽ)。熊出没も心配ですしネ(苦笑)。
(2016/05/31登城して)

ギャラリー

松尾古城全景
県道4号線から角間渓谷向かう道へ曲る地点から撮ったものです。前方の山の最頂部が松尾古城で、右奥の高い山の上が遠見番所跡ですが、見るからに急峻な山容です。しかも、ここからの比高は松尾古城主郭でも200m近くあり、遠見番所にいたっては、さらにそこから比高差240mほどあります( ̄ー ̄;。
松尾古城全景

登城口周辺
城跡の南側を通る道を角間渓谷方面へと東進すると左手に「日向畑遺跡」があり、ここから登城道があります。車は道の余白を捜して停めました。
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登城口
「日向畑遺跡入口」の標柱脇から坂道を登って行きます。尚、「日向畑遺跡」は右手石垣の上です。
松尾古城登城口

日向畑遺跡(ひなたばたけいせき)
諸説あるようですが、日向畑遺跡(上田市指定史跡)は幸隆以前の真田一族の墳墓と考えられています。また、この辺りは真田氏の最初の居館の西端と考えられています。(現地説明板参照)
日向畑遺跡

登城道
登城口から真っ直ぐに進み、最初は山の斜面に沿った道を松尾古城が築かれている尾根の南西端へ廻ります。
登城道

ごつごつした岩盤が露出した急峻な尾根道
尾根の最西端に廻ると、そこからはごつごつした岩盤が露出する急峻な細い尾根をひたすら登って行きます。
尾根道

祠 
日向畑遺跡下の登城口から登ること、8~9分ほどすると、尾根を塞ぐように祠が建っています。秋葉社だそうです。 
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さらに急峻な尾根を
祠背後からは、さらに急峻になり、岩も異様に多くなってきます。一部、尾根の側面を廻る道もありますが、基本的に尾根の上を、ひたすら一直線に登ることになります。
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ほとんどが岩盤道ですが、時々、土の道もあります。尤も、急坂の上、松葉で滑りやすいのでかえって大変です。
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最初に出逢う布積みの石垣(五郭の石垣)
祠から急峻な尾根を13~14分ほど登ると登ってくる敵を寄せ付けないかのように立ち塞がる布積みの石垣が現れます。中央には虎口と思われる凹みが確認できます。石垣の高さは1~1.5mといったところでしょうか。石垣を通り抜けると五郭です。
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五郭の側面を補強する石垣発見
石垣を通り抜けた辺りの五郭の側面にも石垣を発見しました。この辺りは、岩盤でないので尾根道を補強するために築かれたのでしょうか。尚、五郭とは言っても、ごく狭い平坦地です。
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2番目に出逢う石垣(四郭の石垣)
さらに2分ほど登ると、今度は高さ2~3mほどある石垣が現れます。坂の下からは4~5mほどあるのではないでしょうか。登って来る敵を威圧するほどの迫力があります。石垣の上が四郭になります。
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四郭の天然の石塁
四郭の端には天然の石塁があります。
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二郭虎口
四郭は分かったのですが、いきなり二郭の虎口へ出ましたw(*゚o゚*)w。ということは、手前の平坦地は三郭ということ? 四郭と三郭の境が全く分かりませんでした( ̄ー ̄;。
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二郭
左側の尾根が主郭への道で、右の平坦地が二郭で、当城で主郭を除き最も広い郭です。二郭は馬場とも言われているようですが、こんなところに馬が登って来れるわけがありませんよね(苦笑)。
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主郭の石垣
登り始めて35分、右上に主郭の石垣が見えてきました。尚、当写真は、前回(2004/04/28)に登城した時のもので、今回(2016/05/31)は木々の葉っぱに隠れてあまりよく見えませんでした。
主郭石垣

主郭虎口
主郭虎口は登って来た南西(尾根)方向に向けた平虎口です。
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主郭
主郭は周囲を石塁で取囲んでいます。
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主郭にて
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主郭側面の切岸を見下ろす
主郭周囲の切岸は、ゆうに傾斜45度はあり、さらに主郭周囲を石塁で取り囲んでいるので、敵が乗り越えてくるのは難しいでしょう。
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主郭奥側の分厚い石塁
主郭虎口から入って正面奥は、他よりもかなり分厚い石塁になっており、祠が鎮座しています。
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主郭背後の大堀切
主郭奥側の石塁に鎮座する祠の後ろへ廻ると、真下に大堀切を見付けたので、下りていくことにしました。
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大堀切へは、主郭北西部から降りていくことができます。
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堀底にて
左側が主郭で、右は遠見番所へ延びる尾根ですが、堀底から主郭上までは高さ10mはゆうにあります。
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堀底から主郭を見上げる
堀底から見上げる主郭の切岸は、物凄い迫力があります。こんなところを登って行くのは、敵の忍者でも不可能でしょう。
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竪堀
堀切は、竪堀となって南東山裾へと落ちて行っています。
竪堀

遠見番所への尾根
大堀切を渡った先は、遠見番所へ延びる尾根です。松尾古城主郭と遠見番所との標高差は240mほどあります。山麓と松尾古城主郭の標高差が約190mで、35分ほど掛かったことを考えれば40~50分はかかるでしょう。今回は、あまり山登りが得意でない方もいるので、登るのは諦めて下山することにしました。熊に出逢うのも怖いですしネ(苦笑)。
遠見番所への尾根

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コメント

新倉 学(2010/09/21)

夏休みに長野(東信濃から飯山)へ行きました。
松尾古城はきれいに残っていますね。良かったです。

タクジロー(2010/09/22)

新倉さま
私も、松尾古城というか信州独特の石積みが見えてきた時は、本当に嬉しかったです。

中島(2017/03/21)

いつも城巡りの参考にさせて頂いております、初めてコメントを投稿させて頂きます。
番所は遠かったですね、苦労の割に。眺望も良くなく。膝位の高さの石積みがあっただけでした。
これからもHPの更新を楽しみにさせて頂きます。

タクジロー(2017/03/25)

中島さま
ご訪問とコメントありがとうございます。
永年の不摂生が祟り、19日に大動脈解離のため入院しICUに入って、やっと昨日一般病棟に移りました。
という訳で、返信が遅くなって申し訳ありません。

中島(2017/03/26)

大変な時に申し訳ございませんでした。
どうぞご大事になさって下さい。

タクジロー(2017/03/26)

中島さま
病気はかなりの部分、自業自得の点が多く情けないかぎりですが、
何よりも、手術後快復しても本格的な山城が無理なようなのが寂しい限りです。
これからは、傾斜の緩くて穴場的な城跡を捜していきたいと思いますので、今後とも宜しくお願いします。

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