越前 木の芽峠城(南越前町)

木の芽峠下から木ノ芽峠城跡を見上げる

信長の侵攻に備えて朝倉義景が築いた木ノ芽城塞群の一つ

別名

木ノ芽城、三度丸

所在地

福井県南条郡南越前町二ツ屋
【アクセス】
今庄365スキー場の西端部が城跡。北陸高速道木之本ICを下り、国道365号線を福井県方面へ北上し今庄365スキー場へ向かう。今庄365スキー場入口に大きな看板があるのでここからスキー場へ向かう。夏場は、道はそのままゲレンデの中を登り、木の芽峠下まで到達する。この辺りは、道が広くなっていて車駐車可で、「木ノ芽城塞群図」の大きな案内板が設置されている。ここから比高20mほど登れば峠茶屋で、その近辺が木ノ芽城跡であるが、案内板の下に「城跡は私有地であり当家代々生活の場」の立札が・・・( ̄ー ̄;。

形状

山城

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、堀切、土塁、空堀、井戸、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2013/05/17

歴史等

木ノ芽峠は、北陸道(江戸時代には北国街道と称された)の難所として知られ、平安時代以後、越前への入口として利用された。特に、源平争乱の初期から戦国時代にかけて北陸道の要衝として重視された。
木ノ芽城塞群(木ノ芽城・西光寺丸城・観音丸城・鉢伏城)は、この木ノ芽峠を監視・守備する目的で築かれたもので、「朝倉始末記」によれば、永禄12年(1569)、織田信長の越前侵攻に備え、朝倉義景によって築城されたという。
朝倉氏滅亡後の天正元年(1573)には、信長によって近江衆の堀秀村・阿閉貞秀・樋口直房らが入れ置かれた。
天正2年(1574)には、越前一向一揆軍に攻められ占拠されたが、翌3年の信長の越前侵攻に一揆軍は城を放棄し廃城となった。この時、木ノ芽峠城は和田本覚寺が守備していた。
『「日本城郭大系11」、「平成20年歴史読本5月号別冊付録・織豊系城郭見どころ辞典・織豊期城郭研究会=編(新人物往来社刊)」他より』

現況・登城記・感想等

木ノ芽城塞群は、木ノ芽峠を挟んで東側(木ノ芽峠城・西光寺丸城)と西側(観音丸城・鉢伏城)の尾根上に築かれ、今は「今庄365スキー場」の一角になっているが、そのスキー場の至る所に「スキー場エリア一帯私有地につき入山をお断りします」の看板が建てられていた( ̄ー ̄;。
木ノ芽峠城は、観音丸城と木ノ芽峠を挟んで対になって築かれ、木ノ芽峠へ登る道の入口には「木ノ芽城塞群図」の案内板が建てられているが、その下には「城跡は私有地であり当家代々生活の場」の立札がw(*゚o゚*)w??
木ノ芽城のすぐ南東に西光寺丸城があるが、その登城口には何も建てられていなかったので、西光寺丸城を見たあと、尾根伝いに木ノ芽城の方角に歩いて行くと、なかなか見応えのある堀切が現われた。
堀切を渡って木ノ芽峠城にたどり着くと、右手上に土塁を確認。どうやら、木ノ芽城の主郭部らしいが、木ノ芽峠に建つ「旧茶屋番(前川家)」の方から犬の鳴き声が・・・(;´▽`A``。
結局、観音丸城と鉢伏城は勿論、木ノ芽峠城もここで諦めて、元来た道へ戻ることにしました。
本来なら、西光寺丸城~木ノ芽峠城~観音丸城~鉢伏城と連続して見て回れるところだが、何とも残念無念(/。ヽ)。
それにしても、峠には「「峠の碑」や道元禅師の碑」、さらには城塞群の全てに説明板まで建てられているらしいのに、何とも不可思議で納得できないヽ(`⌒´)ノ。
(2013/05//17訪れて)

ギャラリー

木ノ芽峠城塞群図(現地案内板より)
木ノ芽城塞群は、木ノ芽峠を挟んで東側(木ノ芽峠城・西光寺丸城)と西側(観音丸城・鉢伏城)の尾根上に築かれている。
00木の芽峠城塞群図

入山禁止w(*゚o゚*)w
木ノ芽峠城塞群を目指して今庄365スキー場へ向かうと、ゲレンデのあちこちに「スキー場エリア一帯私有地につき入山をお断りします」の看板がたっている。 
入山禁止看板

木ノ芽峠下
スキー場内を通る林道を登って木ノ芽峠下に到着。写真上が木ノ芽峠で、「旧茶屋番(前川家)」が見える。その左側辺りが木ノ芽峠城跡で、右側に観音丸城跡があるらしい。

01木の芽峠下

木ノ芽峠城塞群図案内板
木ノ芽峠への登り口には「木ノ芽峠城塞群図」の案内板が立っている。ところが、なな~んと!その下に「城跡は私有地であり当家代々生活の場」と書かれた立札が立っているではないかw(*゚o゚*)w。
木ノ芽峠城塞群案内板 立入禁止

西光寺丸城への登り口
どうしようか迷った末、峠下を通る林道を東の方へ進み、西光寺丸城への登り口へ・・・。そして、西光寺丸城跡を見学してから尾根伝いに西へ向かい木ノ芽城跡へ行くことにした。
西光寺丸城登城口

木ノ芽城跡南東下の堀切
西光寺丸城跡を見たあと、木ノ芽城跡を目指して西へと向かうと、鉄塔が建つ平坦地へ出る。この平坦地も、ちょっとした郭跡のようだが、ほとんど薮でした。その薮を突っ切って、さらに西へ向かうと、結構規模の大きい堀切が現れた。なかなか見応えがある。ある意味、木ノ芽峠城跡で、この堀切が一番の見どころかも(*^_^*)。
07堀切

木ノ芽峠城土塁
堀切から西へとよじ登って行くと、右手に土塁が現れた。木ノ芽峠城の土塁のようだが、こちら側からは登って行けそうにない。かと言って、この奥の木ノ芽峠には「旧茶屋番(前川家)」が建ち、犬の鳴き声が聞こえてくる。どうも放し飼いのようだ。結局、観音丸城と鉢伏城は勿論、木ノ芽峠城もここで諦めて、元来た道へ戻ることにした。
本来なら、西光寺丸城~木ノ芽峠城~観音丸城~鉢伏城と連続して見て回れるところだが、何とも残念無念(/。ヽ)。それにしても、峠には「「峠の碑」や道元禅師の碑」、さらには城塞群の全てに説明板まで建てられているらしいのに、何とも不可解で、納得できないヽ(`⌒´)ノ。

10木の芽峠城土塁

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