三河 長篠・岡崎信康本陣(新城市)

信康本陣跡の松尾神社への石段、鳥居の右脇に小さな石碑

長篠・設楽ケ原合戦で家康の嫡男信康が布陣

別名

松尾山陣所

所在地

愛知県新城市富永字松尾
【行き方】
国道151号(バイパス)「冨永新知信号」を北へと県道438号へ入り、500m程北上すると道路沿い左手の小山に「岡崎信康本陣地」 の看板があり、ここが本陣跡の松尾山である。

形状

陣城

現状・遺構等

現状:松尾神社、山林
遺構等:石碑、看板

満足度

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訪城日

2010/02/11

歴史等

岡崎(松平)信康は徳川家康の嫡男である。設楽ケ原の戦いのときは、17歳で参戦し、松尾山に布陣した。家康の本陣の後方で、 信長が本陣を置いた茶臼山の南側となる。

現況・登城記・感想等

田峯城址に向かって運転して行ったら、たまたま左手に「岡崎信康本陣地」の看板が見えたので寄ってみた。
鳥居の手前脇に「岡崎信康本陣」と刻まれた小さな石碑が立っている。鳥居をくぐり石段を登っていくと松尾神社が祀られた広い削平地へ出る。 明確な遺構等は確認できないが、周囲は結構急崖になっており雰囲気はある。
いつか、長篠設楽ケ原の合戦時の、武田方と織田方の陣地を全て見て廻りたいと思う。
(2010/02/11訪れて)

ギャラリー

松尾山と看板
田峯城址に向かって運転して行ったら、たまたま左手に「岡崎信康本陣地」 の大きな看板が目に付いたので寄ってみた。
 

㊧松尾神社、㊨切岸?
鳥居をくぐり石段を登っていくと松尾神社が祀られた広い削平地へ出る。祠の裏は、 奥の方へと非常に広い削平地となっており、かなりの大人数を収容できたと思われる。㊨明確な遺構等は確認できないが、 周囲は結構急崖になっており雰囲気はある。
 

鳥居強右衛門が狼煙をあげた雁峰山
信康本陣跡を見てから、田峯城址へと運転して行くと、左手に「強右衛門がのろしをあげし雁峰山」 とかかれた看板が。写真奥の山のようだ。ちょっと興味を持ったが「これより山道約2,000m登」とあったので断念。 「それにしても強右衛門は長篠城から川を泳いで脱出後、こんな高い山の上まで登って狼煙を!」と思うとねえ・・・・・。恐れ入りました(汗)

橋詰殿戦場(馬場美濃守信春戦死の地)
田峯城址へ向かい、さらに北へと進んで行くと「橋詰殿戦場(馬場信春戦死の地)」が。 設楽ケ原の戦いで武田軍は惨敗、総崩れとなり、殿(しんがり)をつとめた馬場信春は、敗走する主君勝頼を助けながら勇敢に戦い、 勝頼が落ち延びていく姿を見届けたあと、この地で最後の戦いをし、自ら敵に首を与えたと伝えられる。

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コメント

夏目良雄(2014/04/05)

神社の後ろに溝があります、所見ですが長篠の戦いの時、岡崎信康が作ったかも知れないと思います。

タクジロー(2014/04/05)

夏目良雄さま
貴重な情報をありがとうございます。
今度、寄った時に確認させて戴きたいと思います。
これからも、当サイトへのご訪問とコメント宜しくお願い致します。

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