宅地化され、個人宅角に立つ城址碑
田峯菅沼氏4代目の定継によって築かれた城
別名
石田新城
所在地
愛知県新城市石田字万福
【アクセス】
国道301号線「石田万福信号」を東進し50m程行った道沿い右手に標柱が立つ。
形状
平城(崖端城)
現状・遺構等
現状:宅地、田園ほか
遺構等:土塁、標柱
満足度
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訪城日
2010/11/28
歴史等
新城古城(しんしろこじょう)は天文元年(1532)に田峯菅沼氏4代目の菅沼定継によって築かれた。本来は石田の新城と呼ばれ、
後に奥平信昌が築いた新城城と区別するための呼称である。
その後、定継は本城である田峯城に入って織田氏に付き、
今川氏に反旗を翻した。ところが定継には弟たちが同調せず、今川方に留まって敵対し、菅沼一族が二つに分かれて戦うことになった。
この戦いは最終的には、定継らが敗死して終わり、戦後、城には定継の弟で今川方に付いた定氏が入った。
現況・登城記・感想等
城跡は、ほとんどが宅地に埋もれてしまい面影もないが、右手奥の豊川沿いの藪の中に土塁の痕跡があるようだ。
(2010/11/28訪れて)