尾張 竜泉寺城(名古屋市守山区)

竜泉寺の裏に建つ模擬天守(宝物館)

織田信長の弟信行が築いた城、長久手の合戦の際には秀吉が一時陣所に

所在地

名古屋市守山区竜泉寺1丁目902
竜泉寺:052-794-3647

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 竜泉寺
【遺構等】 模擬天守(宝物館)、空堀、秀吉一夜堀の碑、井戸

満足度

?????

訪城日

2011/02/27

歴史等

竜泉寺城(りゅうせんじじょう)は、織田信長の弟信行が、弘治3年(1557)に築城した。
信行は、尾張守護代の岩倉城主織田信安と謀り、兄信長と争ったが、同年11月2日信長の謀略により清州城で殺され、それにともない竜泉寺城も間もなく廃城となった。
その後、天正12年(1584)の長久手の合戦の際、池田恒興・森長可ら別働隊の敗報に接した秀吉が、大軍をもって家康と決戦を交えようと、当城址まで押し寄せ、陣所としたこともあったが、家康が兵をまとめて小幡城へ引き揚げ、さらに翌日には小牧山城へ帰陣したため、秀吉もやむなく火を放って楽田の本陣へ帰った。
この時、秀吉は竜泉寺城の防備として周囲に堀を造ったが、これは人海戦術を用いて、短時日で成し遂げたもので「竜泉寺城の一夜堀」といわれ語り草になっている。
『日本城郭大系9より』

現況・登城記・感想等

竜泉寺は、尾張四観音の一つとして有名で、多くの人が訪れていた。寺の裏には、模擬天守風の宝物館が建てられ、秀吉によって築かれた一夜堀も残されているそうだが、何と宝物館(模擬天守)が休館で、寺の裏へは入って行けないようになっている。
開館日は土日で、9:00~15:30となっていた。着いたのは15:35だ~!!
模擬天守の中はともかく、周りだけでも入れるようにして欲しいものだ(怒)。
止むを得ず、寺の後ろに屋根の部分だけが見える模擬天守を撮って退散。
(2011/02/27訪れて)

ギャラリー

竜泉寺
竜泉寺は尾張観音の一つ。本堂の右奥に模擬天守(宝物館)が建てられている。
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