三河 市場城(豊田市、旧小原村)

本丸と櫓跡の石垣

西三河の豪族鱸氏4代90年間の居城、石垣や畝状竪堀等の遺構が良好に残る

別名

小原谷大草城

所在地

愛知県豊田市市場町城
【アクセス】
国道419号線「小原町前田信号」を東進し、100m弱の道(泥ぶち観音・市場城址案内板有り)を右折し、道なりに500mほど進み登りきった辺りの道路左側に登城口があり、右側に駐車場がある。

形状

山城(標高380m、麓からの比高差約80m)

現状・遺構等

【現状】 城山公園
【遺構等】 曲輪、土塁、石垣、空堀、堀切、畝状竪堀群、石碑、説明板、城址全体図案内板、遺構説明板

満足度

★★★★

訪城日

2011/09/25

歴史等

戦国期、西三河の山間部では、松平村(現豊田市)の松平氏が大きな力を持ち勢力を南方に拡大進出し、北方では足助(現豊田市)の鈴木氏、小原の鱸(鈴木)氏がそれぞれ勢力を張って対抗していた。
市場城は、室町時代の山城で、昔は小原村大草城といった。小原村には当時の山城が11城あり、その中でも市場城は主城の役割を担っていた。
旧記によると、室町時代が始まる応永年間(1394~1482)は、足助重春の一族である鈴木重勝が小原谷市場古城市場古城に居城しており、長禄3年(1459)には、鱸藤五郎親信が足助の鈴木小次郎忠親から小原村を与えられ領有した。
その後、文亀2年(1502)に鱸藤五郎親信が今の市場城を築いてから、第2代肥後守長重、第3代伊賀守直重、第4代越中守重愛までの88年間、市場城は鱸氏4代の居城であった。
第4代重愛は徳川家康の下で串原城、広瀬城を攻めて大功をたて、天正11年(1583)に領地を加増され、石垣を積み、曲輪を構えるなど城郭の大改修を行って堅城としたが、重愛は自らの勇力を誇って秀吉に服従せず、そのため天正18年(1590)に改易となり市場城を出城させられ、文禄元年(1592)城は破壊され廃城と化した。
『「小原郷土館展示資料」、「現地説明板」、「日本城郭大系9」より』

現況・登城記・感想等

市場城は城山公園として整備され、遺構に沿って遊歩道が完備され、楽しく散策できる城址であるはずだが、私が登城した9月25日は下草が多い上に「マムシ注意」の立札が至る所に設置されていた。おまけに、駐車場と登城口には「ツキノワグマ注意」の立札まで設置。さらには駐車場や遊歩道にはスズメバチがいっぱい飛び、挙句の果ては駐車場で一度は車の中にまで侵入してしまった。また、やぶ蚊が顔周辺にまとわりつくだけでなく、デジカメのレンズの前を塞ぐやら、一人だけでの登城は大変なものとなった w(*゚o゚*)w。
尤も、本丸と本丸南下の櫓の立派な石垣や愛知県の城には珍しい畝状竪堀群をはじめ、空堀や枡形門跡等々、見応えのある遺構は多い。中でも、石垣と畝状竪堀群は見事だ。
この城は見どころ満載で、満足度は★★★★★に近い★★★★☆だ(*^_^*)。
ただ、もう少し、ゆっくり楽しんで歩きたかったなあ(苦笑)。
(2011/09/25登城して)

ギャラリー

旧小原村の城址位置図(小原郷土館展示より)
戦国時代、旧小原村には山城が11城あり、「小原郷土館」で、その11城の縄張り図付の「小原の城郭」という小冊子が無料で貰えるとのことだったので入館したが、在庫が無いようだった。止むを得ず、展示されたものを写真に撮った。
小原郷土館:豊田市小原町洞344-1、電話0565-65-2540
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市場城址案内図(現地案内板より)
市場城址は、城山公園として整備され遊歩道が完備されている。ただ歩くだけなら、1周12~13分ほどかな?
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【登城記】
駐車場と登城口、そして「ツキノワグマ注意」の看板 w(*゚o゚*)w
写真手前の説明板の前が駐車場、道路の反対側(写真左奥)に登城口がある。駐車場では、スズメバチの大群が・・・。そして、説明板の横や登城口には「ツキノワグマ注意」の看板が w(*゚o゚*)w。今日は一人での登城だし、ちょっと躊躇したが、「折角、こんな山奥までやって来たのだから・・・。熊ベルも付けているし、まあ、大丈夫だろう。」ということで、出発~!
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今度は「マムシ注意」
意を決して、登城口から入り、100mほど進んだところに市場城址案内板が設置され散策路が示されている。それを見て、左回りで進もうとしたら、今度は「マムシ注意」の看板が・・・ w(*゚o゚*)w。散策路は整備されているとはいえ、9月の下草はかなりのものだ(;´▽`A``。
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二の丸の土塁
散策路を進むと、左上に二の丸土塁が見えてくる。まさに城郭土塁の形をした姿がかっこいい(*^_^*)。ただ、さっきからスズメバチがやたらと飛んでいる。そして頭の周囲でブンブンと鳴く音がうるさいヽ(`⌒´)ノ。尤も、こちらはやぶ蚊のようだが・・・。
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市場城主の供養塔
さらに少し進むと左手に鳥居が見えてくる。鳥居の奥には、初代から4代の市場城主の供養塔が立っている。戒名と年代が刻まれているが、建立は江戸末期頃のものらしい。先程からのやぶ蚊が本当にうっとおしい。おまけに写真を撮ろうとするとレンズにとまって邪魔をする(/。ヽ)。 
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空堀と櫓石垣
さらに進むと土塁と空堀が見えてくる。空堀は堀底道となり、その奥に櫓跡の石垣が見えてくる。
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櫓跡の石垣
この石垣、随分立派なもので、角部はちょっとした算木積みのようになっている。初期の算木積みだろう。石垣下の曲輪へ入って行きたかったが、あまりにも藪がひどくて断念(;>_<;)。
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本丸石垣と櫓跡石垣を
櫓跡の石垣に沿って登って行き、振り返って撮影。
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二の丸跡
本丸の反対(西)側には二の丸があるが、これまた強烈な藪な上、ここにも「マムシ注意」の看板があり、突入はとてもとても(;>_<;)。
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本丸石垣
本丸の石垣は、これまた見事なものだ。公園化整備の時に積み直したものだろう。それにしても、こんな山奥の山城に、これだけ立派な石垣を築いたとは、地方豪族の城も捨てたものじゃないねえ。
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本丸南側周囲の土塁(石塁)
本丸は西側から南側にかけて土塁が残っているようだが、本丸南側は強烈な藪で隠れてしまって見えない。当然、入って行く勇気もない(/。ヽ)。
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本丸
本丸は細長くてかなり広い。これは、本丸北側から撮ったものだが、北側半分は下草も少なくて助かった(*^_^*)。本丸の中央には立派な城跡碑が建てられている。
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城址碑
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本丸から東方面の眺望
本丸から眺める東側の三河の山並みの景色はなかなかのものだ。ここは四季桜が有名で紅葉シーズンには、紅葉と四季桜が一緒に見られるそうだ。
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本丸切岸と本丸下の帯曲輪
本丸西側から北の方へ降りていくと、本丸下の帯曲輪が見える。帯曲輪といえ、かなりの広さだ。また、本丸の切り立った切岸の姿もなかなか迫力がある。
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畝状竪堀群
帯曲輪の下へ降りていくと、畝状竪堀群が見えてくる。愛知県では珍しい畝状竪堀群だが、5筋もの竪堀が山裾へ落ちていく光景はスゴイ! おまけに、ただでさえ竪堀は写真に撮っても何の写真か分からないようなのが多いが、下草の多いこの季節にも関わらず、見事に写っている(*^_^*)。本丸周囲の石垣とともに、この城の最大の見どころの一つだろう。
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枡形虎口
畝状竪堀群の上を南の方へ歩いて行くと、今度は枡形虎口が見えてくる。これまた見応え充分だ(*^_^*)。ここにも石垣が残っている。
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枡形虎口を上から
この枡形虎口は、尾根の堀切に、後に石垣を築造して枡形に造り替えたもので、形は2度折れて次の広場へ進むという守るに都合の良い構造で、近世城郭における枡形の原型と考えられる。(遺構説明板より)

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さんざ畑
家老尾形三左衛門の屋敷があったと伝えられるそうだ。これで、見どころもほぼ終わりだが、ここも結構下草が長く伸びていて(汗)。
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これでオシマイ!

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