赤目城跡全景
鎌倉北条氏の末裔横井氏の居城
所在地
愛知県愛西市赤目町杉土居90
【アクセス】
八輪小学校を右(西)手に見て県道8号を1.7km程南下して右手に雑木林(周りより僅かに高い)が見える。この辺りが城跡。
雑木林(実際は、集落になっており城主末裔の横井家や赤木神社がある)内には、駐車出来る場所はないので、西側を通る道路の反対側辺りに停められそうな場所がある。
八輪小学校:立石町宮西39、0567-37-0353
<移築門>
一心寺:赤目町中屋敷154、電話0567-37-0265(赤目城の北西約300m、駐車場有)
形状
平城
現状・遺構等
【現状】 宅地
【遺構等】 堀、現存門、移築門、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2011/11/18
歴史等
明応2年(1493)、地元の豪族の横井時永がを築城し一族を率いて、現在の元赤目へ居住し、延宝3年(1675)、この地に移ったという。
横井家は、鎌倉時代の最後の得宗である北条高時の次男・時行の末裔である。
横井氏は、16世紀後半には、信長・秀吉・家康にそれぞれ随時仕えていた。
江戸時代になると、代々、尾張徳川家(尾張藩)に属し、生駒家や毛利家などとともに「尾張衆」と呼ばれた有力家臣グループの一員として、家臣団の中枢を構成する地位にあった。
『現地(赤城神社)説明板より』
現況・登城記・感想等
赤目城は、現在も城主末裔の横井氏宅となっている屋敷地とその付近一帯に築かれていた。城地は、周囲より一段高い地形となっている。
城地内の櫓台を思わせるような高台には、先祖を祭った横井家所有の赤城(せきじょう)神社がある。
建物遺構としては、北西約300mにある一心寺に城門が移築され現存している。
(2011/11/18訪れて)
ギャラリー
赤城(せきじょう)神社
移築城門(於一心寺)