尾張 丸根砦(名古屋市緑区)

山頂部の主郭跡に建てられた「丸根砦殉難者の碑」

大高城を孤立させる為に、織田信長が鷲津砦と共に造営した砦

所在地

愛知県名古屋市緑区大高町丸根

形状

現状・遺構

【現状】山林
【遺構等】曲輪、土塁、空堀、石碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2004/02/10

歴史等

永録2年(1559)今川義元が尾張へ侵攻を開始した際、その橋頭堡としたのが大高城であった。これを孤立化させるべく、織田信長は丸根砦鷲津砦の2砦を築き、 大高城への兵糧攻めをした。
永禄3年(1560)、桶狭間の合戦の時、大高城に無事に兵糧を搬入した松平元康(徳川家康)が、佐久間大学盛重が守る丸根砦を今川勢の先鋒として攻めた。佐久間盛重以下織田勢は奮戦するが、小勢のため砦は落城し、守将佐久間盛重も討ち死にした。

現況・登城記・感想等

桶狭間の合戦を思い起こしながら、鷲津砦跡・大高城跡との三角形の1点になるこの丸根砦を、まず最初に登った。
名古屋の市街地(住宅地)のど真ん中にあるにも関わらず、緑多い丘陵(砦跡)が残っているのは何はともあれ素晴らしいですネ。
尚、当丘陵の北端には鷲津砦が、南端にこの丸根砦が築かれている。
丸根砦の主郭のある山頂へは階段道がきれいに整備されている。
主郭は長軸30mほどと狭く、そこに「丸根砦殉難者の碑」が建てられ、山腹にも狭いながらも幾つかの腰曲輪や帯曲輪が設けられている。
空堀も残っているとのことだが、それらしき形状のところはあったが、よく分からなかった。
また、主郭から一段下がった帯曲輪に城址碑が建てられている。
(2004/02/10登城して)

ギャラリー

山麓に設置された説明板と
山麓には説明板が設置されている。さあ、登城です!
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登城道
山麓から主郭のある山頂へは階段道がよく整備されている。途中には幾つかの腰曲輪が散見される。
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山腹の腰曲輪跡からの眺望
山腹には狭いながらも幾つかの腰曲輪や帯曲輪が設けられている。
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主郭から一段下がった帯曲輪に建てられた城址碑
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山頂部の主郭跡に建てられた「丸根砦殉難者の碑」
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