城跡とされる前田速念寺の山門、左手前には城址碑
加賀前田氏発祥の地
所在地
愛知県名古屋市中川区前田西町一丁目(前田速念寺)
形状
平城
現状・遺構等
現状:前田速念寺
遺構等:最後の城主の墓、説明板、石碑
満足度
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訪城日
2006/11/23
2006/11/24
歴史等
速念寺の寺伝によると、この地には前田城があり、加賀前田家発祥の地である。そして、利家もこの前田城で生まれ(荒子城説もある)、幼少にして前田城の出城、新設の荒子城に移って成長したとする。
前田氏は織田信長に属し、西に蟹江城、東に荒子城、南に一色城等々を支配し、前田城はその中心であった。前田城は天正12年(1584)長久手の合戦ののち、秀吉方についたため、家康方の攻撃を受け落城、城主与十郎は蟹江で討死、その子・長種は北陸に逃れて、利家に仕え、1万石(のち2万石)を得た。境内には前田家古墳や最後の城主与十郎の墓がある。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
探すのに結構手間取り、夕方暗くなってしまい写真が撮れなかったので、翌朝出直した。「速念寺」はなんと、「前田速念寺」といなっていた。
遺構は特に残ってはいないが、しっかりした説明板や石碑等が建てられていて、前田家発祥の地の雰囲気は感じられる。中でも、まさに兜を思い起こさせるようなお寺の本堂には驚きとともに、なかなかやるなあという想いが・・・。
(2006/11/23、24訪城して)
ギャラリー
㊧速念寺山門の前の城址碑、㊨山門に架かる加賀前田氏発祥の地の看板
速念寺本堂
まさに兜を思い起こさせるようなお寺の本堂には驚きとともに、なかなかやるなあという想いが・・・
前田城最後の城主・前田与十郎の墓
他に前田仲利・利成の2基がある。
前田古城碑
この石碑はかなり古いものらしく読み辛い。境内の隅にひっそりと建てられていた。