神明社の裏に残る空堀
三ツ木城の松平信孝が織田方に通じ、岡崎城の松平宏忠に備えて築いた城
所在地
愛知県安城市山崎町城跡、神明社
形状
平城
現状・遺構
現状:神明社
遺構等:曲輪、土塁、空堀、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2008/06/06
歴史等
山崎城は、三ツ木城の松平信孝が、岡崎城の松平宏忠に敵対して織田方に通じたとき、
岡崎城に備えて天文12年
(1543)に築いたものである。
しかし、天文18年(1549)今川・松平連合が安祥城を攻撃したとき落城した。
その後、天正13年(1585)小牧長久手の戦いの後の緊張状態の中で、徳川家康により改修工事をされたといわれる。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
如何にも、城跡だという住所「山崎町城跡」へと向かうと、城址の神明社はすぐに見付かった。
土塁の上に神明社本殿が建っている。本殿裏(北側)には、空堀が実に良好に残っている。幅13m、深2m、長さ約50mもある。
山崎城は戦国時代の典型的な方形城館で、この空堀が周囲を巡っていたそうだ。そして、その内側を幅15m、高さ3.5mの土塁が、
東西100m、南北90mにわたって取り囲んでいたそうだ。
今も、神社入口(南)の鳥居の横に土塁が一部(2箇所)残っている。
(2008/06/06登城して)
ギャラリー
神明社(山崎城本丸跡)
正面奥が神明社本殿。右側手前と鳥居の左横に土塁が残っている。どちらも石碑
(ほとんどが太平洋戦争時のもの)がやたらと立っている。
土塁①
土塁②
本殿北側の空堀
幅13m、深2m、長さ約50mの空堀が実に良好に残っている。写真左側土塁上に神明社本殿が建つ。
左側手前(城の北東隅)の土塁が高くなっており、往時は隅櫓があったそうだ。