山中に残る石垣
平清盛の叔父の七男正持を祖とする中根氏の居城
所在地
愛知県岡崎市箱柳町日陰
形状
平山城
現状・遺構等
現状:山林(竹薮)
遺構等:曲輪、石垣、石碑、説明板
満足度
★★★☆☆
訪城日
2008/06/06
歴史等
箱柳城(はこやなぎじょう)は、室町時代正長年間(1428~29)に中根盛清が築城した。
中根氏祖は、平清盛の叔父忠正の七男・七郎正持(当時2歳)が保元の乱(1156)後、母に伴われて、中根村に遁れ、
成人して箱柳村に住した。そして、成人するまで世話になった中根村の中根を姓にした。そして、この地から全国に中根姓を広めた(中根姓の祖)
。
以来、忠良まで14代400年に亘り道根6郷(箱柳・小呂・田口・板田・岩谷・中畑以上6村)を治め、その間に近郷に拡大した。
忠良の次男正照は、徳川家康の家臣として遠江二俣城の城主となり、
三方原合戦に出陣、奮戦し壮烈な死を遂げた。
『現地説明板(聖徳寺前&石碑裏)より』
現況・登城記・感想等
箱柳城址へは、岡崎市街地から箱柳町へ向かうと、聖徳寺(愛知県岡崎市箱柳町字下10、電話0564-22-3914)の手前(西)
の道路沿い(寺と反対側)に立派な石碑がある。ここが登城口である。ちょっとした駐車場所があり、石仏遊歩道の碑も立っている。
遊歩道の案内板に従って歩いて行くと、「東山頂」と「箱柳城(70m)」という案内板のある分岐点へと出る。
城址への道は、雑草に覆われ、ちょっと躊躇してしまうが、そこを少し入って行くと、雑草もなくなる。すると、いきなり竹薮の中に石垣を発見!
さらに中へ入って行くと、またまた石垣が見えてくる。左下を見ると、曲輪跡と思われる削平地が塁段になっており、
やはり石垣が良好に残っている。
前方上には、3段になった曲輪跡が見え、その一番上の曲輪の石垣は実に良好に残っている。
さらに登って行くと、道が全くなくなるが、所々にちょっとした石垣や石が転がっているのが確認できるが、ここから、山頂まで登るのは、
ちょっと無理なようだ。
こんな竹薮の中に、これだけ石垣が残っているのは嬉しいと同時に不思議な感じだ。整備したら、すごい城址が現れるのでは!?
見てみたいものだ。しかし、本当に、往時のものなのだろうか??
一旦、先程の分岐点に戻り、東山頂方面へと向かった。その途中平地部分にも、石垣跡らしきものを見つけたが、山頂への遊歩道は、
「石仏遊歩道」の名の通り、石仏以外には何もなかった。
山頂近くには見晴台があったが、見張り台跡ではなさそうだ。
詰城があるかもと、ちょっと期待したが、どうやら、箱柳城は山麓の居館だけで、詰の城などは無かったようだ。
(2008/06/06登城して)
ギャラリー
石碑
岡崎市街地から箱柳町へ向かうと、聖徳寺(愛知県岡崎市箱柳町字下10、電話0564-22-3914)
の手前(西)の道路沿い(寺と反対側)に立派な石碑がある。ここが登城口である。すぐ後ろの空地に駐車。右後ろの竹薮が箱柳城址。
㊧石仏遊歩道の碑、㊨歩き始めて
㊧駐車場に石仏遊歩道の碑が。伊賀川に架かる橋(写真右)
を渡ると㊨石仏遊歩道の案内板がある石垣の小道へと出るので、そこを歩いて行く。左写真後ろの竹薮が城址。
㊧石仏遊歩道と箱柳城址への分岐点、㊨城址への道
案内板に沿って進むと、㊧石仏遊歩道と箱柳城址への分岐点へと出る。㊨城址へは右の道を行くが、
雑草に覆われ、ちょっと躊躇してしまうが、そこを少し入って行くと、雑草もなくなる。
最初に出会う石垣
竹薮の中へと入って行くと、いきなりこの石垣に出会い、期待が膨らむ。
次に出会う石垣
さらに中へ入って行くと、またまた石垣が見えてくる。この石垣は、
3段になっている曲輪の最下段の曲輪の石垣である。
左下曲輪の石垣
左下を見ると、曲輪跡と思われる削平地が塁段になっており、やはり石垣が良好に残っている。
塁段の曲輪
前方上には、3段になった曲輪跡が見える。奥に微かに見えるのが最上段の曲輪。手前土塁上が2番目の曲輪で、
その下が最下段の曲輪で、曲輪下には2つ上写真の石垣が残っている。
段曲輪の最上段の曲輪石垣
一番上の曲輪のこの石垣は実に良好に残っている。
段曲輪の最上段の曲輪を上から撮影
右側から奥左へと石垣が良好に残っている。
㊧虎口?、
㊨さらに上へと
段曲輪最上段の曲輪石垣の所から、両側土塁(石塁)
に石垣が残る虎口と思われる所をさらに登って行くと、道が全くなくなるが、
所々にちょっとした石垣や石が転がっているのが確認できるが、ここから、山頂まで登るのは、ちょっと無理なようだ。
【石仏遊歩道を行く】
分岐点に戻り、東山頂方面へと向かった。その途中、平地部分にも石垣跡らしきものを見つけた。
石仏遊歩道の石仏の一部
山頂への遊歩道は、「石仏遊歩道」の名の通り、石仏以外には何もなかった。
見晴台
山頂近くには見晴台があり、写真のように堀切跡のような凹み(写真中央)があり、見張り台跡かとも思ったが、
他にそれらしき遺構もないことを考えると、見張り台跡ではなさそうだ。