尾張 千賀城(南知多町)

個人宅脇に建てられている城址碑

尾張藩御船奉行千賀氏の館

別名

千賀屋敷

所在地

愛知県知多郡南知多町師崎字的場

【行き方】
国道247号の「羽豆岬」の信号を東へ200mほど行き、左(北東)へ細い道を4~50mほど入ると、左(北西)への路地がある。 その路地の突き当たりに、門扉の付いた、コンクリート塀に囲まれた石碑が立っている。

形状

現状・遺構

現状:住宅地
遺構等:井戸?、石碑

満足度

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訪城日

2008/11/10

歴史等

慶長7年(1602)、幡豆崎城の城代千賀重親が屋敷を築いて移ったことに始まる。 屋敷の資材は幡豆崎城を解体して用いられたと云う。
千賀家は代々尾張の大名に仕え、慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦では、師崎水軍が、伊勢の九鬼水軍を撃破している。
慶長19年(1614)の大坂冬の陣の際には、千賀信親は水軍として活躍した。
その後、千賀氏は、尾張藩の御船奉行として代々徳川家に仕えた。
『サイト・城郭写真記録他参照』

現況・登城記・感想等

千賀城址は、知多半島の突端の漁業の町・師崎の民家の一角にコンクリート塀に囲まれて、「千賀家之碑」 と彫られた石碑が立つのみである。
門の前に井戸があったが、往時のものなのだろうか?。
師崎は、日間賀島や伊良湖岬への船が出ており観光客で賑わう。
また、魚が美味しいということで、名古屋方面から食事に来る方も多く、海岸道に魚料理の店やホテルが鈴なりにあった。
残念ながら今回は、朝食をとったばかりだったので、名物「大アサリ焼き」を食べるだけにした。いつか食事にも来たいものだ!
(2008/11/10訪れて)

ギャラリー

往時の井戸?

三河湾名物「大アサリ」

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