荒崎小学校校門脇の城址碑と説明碑
竹中半兵衛重治の従弟源助重利が築いた城
所在地
岐阜県大垣市長松町789(荒崎小学校)
荒崎小学校:長松町西部789、電話058-491-1039
形状
平城
現状・遺構等
現状:荒崎小学校
遺構等:石碑、説明碑
満足度
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訪城日
2010/11/30
歴史等
長松城は、竹中半兵衛重治の従弟竹中源助重利が築いた城である。
永禄元年(1558)、竹中重元(半兵衛の父)が揖斐郡大御堂より不破郡岩手に移った際に、重利も之に従って来た。そして、長松に3千石を分知され、永禄から天正初めの頃に城を築いた。
その後、本家の半兵衛重治が豊臣秀吉に従って各地を転戦した時には、岩手城(菩提山城)城代も務めたが、のちに自身も秀吉に仕えて豊後高田1万石を与えられて移った。
次に、秀吉の家臣武光式部忠棟が5千石を封じて入城した。忠棟は、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦で西軍につき、この長松城で東軍を迎え撃ったが、武運つたなく8月28日桑名方面へ退去するに至った。
あとには、東軍一柳監物が入城して守ったが、戦後廃城となった。
『「現地説明碑」、「日本城郭大系9」より』
現況・登城記・感想等
長松城跡は荒崎小学校となり、小学校の南側にある校門の脇(西側)に石碑と説明碑が立つだけだ。
(2010/11/30訪れて)