民家の角に立つ陣屋の碑
大垣新田藩戸田氏が明治に入り野村に移って構えた短期間の陣屋
所在地
岐阜県揖斐郡大野町野
【アクセス】
野古墳群の東約300mほどの宅地の中に八幡神社があり、その北側を通る県道265号線の道端に碑と説明板がある。上手く説明できないので、近くで八幡神社の場所を聞いてもらうのが良いと思います。スミマセン( ̄ー ̄;
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 宅地
【遺構等】 移築城門、石碑、標柱、説明板
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2011/11/17
歴史等
大垣藩主戸田氏鉄の次男氏経が明暦元年(1655)、新田4千石を分与され、旧領と合わせ6千2百石となった。
元禄元年(1688)、3代氏成が本家から新田3千石の分与などにより、禄高1万石を領し諸侯に列した(大垣新田藩)。
明治元年(1868)、9代氏良の時、本家より大野郡野村を分与され1万3千石となった。
そして、翌2年5月、野村に陣屋を移して野村藩を立藩したが、同4年に廃藩置県を迎えた。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)より』
現況・登城記・感想等
陣屋跡は住宅街となり、遺構は全く残っておらず、八幡神社の道を挟んで反対側に碑と説明板が立っているだけだ。
尚、大小2つの門が町内の個人宅に移築されている。
(2011/11/17訪れて)
ギャラリー
陣屋平面図付きの説明板
説明板と碑
移築現存門
八幡神社の南約80mほど(西側)にある内田氏宅に陣屋門(大)が移築されて残っている。なかなか立派な門で、門の前に「野村藩邸総門」の標柱が立っている。尚、小さい方の門も、町内に移築現存されているようだが、分からなかった。