城跡の小公園に立つ説明板
小牧長久手の戦いで秀吉により竹鼻城と共に落とされた城
読み方
こりとりじょう
所在地
岐阜県安八郡安八町氷取、名森小学校周辺
名森小学校の付近が城址で、小学校から道を挟んだ反対(南)側の小公園に説明板。
名森小学校:安八町大明神40
形状
平城
現状・遺構等
【現状】 名森小学校など
【遺構等】 説明札
満足度
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訪城日
2011/11/17
歴史等
氷取城は竹鼻城の出城で、竹鼻城主不破源六友綱の弟不破大炊頭が守っていた。
天正12年(1584)、小牧長久手の戦いで、豊臣秀吉は、まず加賀野井城(羽島市)を落とし、続いて竹鼻城を水攻めにした。城兵はよく戦ったが6月10日に落城した。
この時、永取城も運命を共にしたと思われる。
『現地説明板より』
現況・登城記・感想等
氷取城は、名森小学校の南側にある小公園に説明板があるだけで、城の遺構は全く残っておらず、ただ地名(小字)に「城」の名を残すのみだ。
(2011/11/17訪れて)
コメント
嫌味 言う太郎(2014/12/11)
氷取の本来の意味は、垢離(こり)を取るという意味があります。
伝承に依りますと倭武尊が伊吹征伐で負傷したとき当地区の村人が水垢離を行い、回復を祈願したということがあります。しかし、 昨今、当地区の方、安八町の職員を含めこの意味を忘れ、『こおりとり』と呼びます。さらに安八町は、地名の呼び方を上記のとおり『こおりとり』とし本来の意味も分からず登録しているそうです。嘆かわしい話です。これでは、体を清める場所が、氷を取る場所になってしまいます。本来『氷』という文字は当て字で、なにも意味がありません。私どものご先祖様は当て字を使い、現在の住民は、言葉の意味まで変えようとしています。
タクジロー(2014/12/12)
嫌味 言う太郎 さま
貴重なお話をありがとうございます。勉強になりました。
昨今、平成の大合併でも、由緒ある地名が変えられてしまい嘆かわしいと思っていましたが、それ以外にも、そのようなことがあるのですね。
本当に、もっと大事にして欲しいものですね。
また、時々、当サイトに寄って戴けると嬉しいです。
桑木(2021/02/14)
城址にある説明板では、読み方を「こりとり」としています。
水攻めの後に竹ヶ鼻城主となった一柳直直末の例です。現在、地元では「いちやなぎ」と呼んでおり、実際「いちやなぎ」さん、「いちりゅう」さんがいらっしゃいます。しかし、市内に残っている当時の墓碑には「一ツ柳」と彫られており、直末が戦死した小田原でも「ひとつやなぎ」と呼ばれています。時代と共に言いやすいように変わってきたのでしょうか。一柳家が使えた土岐氏の記録には、直末の祖父が河野姓から一柳姓に変えることを許され、長男は「ひとつやなぎ」と決められたとあります。
タクジロー(2021/02/14)
桑木さま
当サイトへのご訪問とコメントをありがとうございます。
今まで、私は「一柳」の姓は、伊勢神戸城から伊予に移った一柳氏のように「ひとつやなぎ」と読むのが一般的なのかと思い、「いちやなぎ」さんとか「いちりゅう」さんと読む方がいらっしゃるのを知りませんでした。
お教えいただき、ありがとうございました。