陣屋表門
元禄時代に幕府直轄地となり置かれた代官所
所在地
岐阜県高山市八軒町
形状
陣屋
現状・遺構
現状:国指定重要文化財
遺構等:御役所、御用場、大広間、役宅、吟味所、白州、米蔵8戸前、門番所、表御門、不浄門、塀(以上国指定重文)
満足度
★★★☆☆
訪城日
2003/08/12
歴史等
高山城主金森氏の下屋敷の一つであった。
元禄5年(1692)7月高山城主金森頼トキ(縦に:山+ウ+日)は出羽国上ノ山に転封となり、飛騨国は徳川幕府の直轄領となった。幕府は8月18日関東郡代伊奈十郎忠篤に飛騨代官を兼務させ、22日に加賀藩主前田綱紀に高山城在番を命じた。伊奈代官は金森氏家臣4家の屋敷を会所として金森氏転封後の事務処理にあたった。
元禄8年(1695)4月高山城の取り壊しが始まり、金森重頼の3人の娘が居住していた向屋敷に代官所を移して高山陣屋と称した。以後、幕府直轄地時代は、明治まで25代177年間続いた。
元禄8年当時の高山陣屋は約28,000㎡の広大な敷地を有していた。高山城三の丸にあった米蔵2棟を陣屋内に移築し御蔵とした以外、建物の配置、規模などは不明である。享保10年(1725)老朽化が激しくなった高山陣屋の建物は御蔵以外全て解体され、旧材を利用して御役所と御役宅に区分して建て替えられ、陣屋としての形態が整えられた。しかし、敷地は3分の1に縮小されている。その後、文化13年(1816)御役所、文政13年(1830)郡代役宅、天保3年(1831)御門と陣屋の建物は漸次改築された。
この間、享保14年(1729)に美濃国の一部、明和4年(1767)に越前国の一部飛騨代官の所管地となり、また安永6年12代代官大原彦四郎紹正が布衣郡代に昇進し、関東・西国・美濃と並んで飛騨は幕府の中でも有数の地位を占めるに至った。
明治維新後、飛騨県・高山県・筑摩県・岐阜県と行政区画が変転する中にあって、 旧高山陣屋は県庁、郡役所、支庁、県事務所など代々、地方の役所として使われ、また敷地も分割されていった。
岐阜県教育委員会は全国にただ一つ現存する幕府の陣屋跡を後世に保存すべく、昭和45年(1970)以来、文化庁の指導・支援を得て復元修理工事を実施している。
『「現地説明板」、「サイト・高山市観光情報より』
現況・登城記・感想等
国指定重要文化財だけあって、よく残っており、又、よく整備されていて、当時の陣屋というのが、どのようなものかよく分かる。
見て回っても、それなりに楽しい。
(2003/08/12登城して)
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