山上に残る狼煙台(天守台?)石垣
土岐氏一族の古里氏が築城した未完成の山城、山頂に石垣が良好に残る
別名
古里城山城、小里城山城
所在地
岐阜県瑞浪市稲津町小里
形状
山城(比高差:約180m)
現状・遺構等
現状:山林
遺構等:曲輪、土塁、石垣、天守台(狼煙台?)、石碑、説明板
満足度
★★★★☆
訪城日
2008/05/05
歴史等
瑞浪市稲津町内には、中世から近世初頭にかけて当地を治めた領主「古里氏」の居城とされる城跡が3箇所あり、古里古城跡・古里新城跡・古里城山城跡と呼ばれている。その中でも古里城山城跡は最も規模が大きく、また曲輪なども良好な状態で残っている。
小里城山城(おりしろやまじょう)は、小里記によると土岐氏の流れの小里出羽守光忠が天文3年(1534)に築城し、以降代々の居城となったという。
光忠は元亀3年(1572)、武田勢の美濃侵入に際し、明智の遠山景行らと共に織田方となって12月の上村合戦に戦死し、家督は光明が継いだ。
その翌年の天正元年(1573)には武田方の秋山晴近らによって岩村城は攻略され、武田勢の美濃侵入の拠点となった。このことから天正3年(1575)、織田信長は岩村城を奪回しようとして小里、神箆両城を固めた。
命を受けた光明らによって小里城山城は大規模に広げられたが、一方岩村城はこの工事途中の12月、信忠を大将とする織田方の攻撃で落城したので、小里城の改築も一の木戸の石垣や本丸(桜)構築の途中で中止された。
その後、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の後に、旧領地を回復した小里氏が山麓に居館を構えたが、元和9年(1623)に幕府の命により小里氏が断家となり廃城となった。
尚、山上本丸跡の説明板によると、「築城時期については明らかではないが、古里光忠が当地を所領した天文元年(1532)頃、或いは織田信長と武田氏の攻防中の天正2年(1574)と考えられる」と記されている。
『現地説明板(登城口&山上本丸跡)より』
現況・登城記・感想等
県道20号線沿いに建つ「小里城山城址登り口」の看板のところから登り始めると、いきなり正面に石垣が現れ、期待が膨らむ。
さらに100mほど登って行くと、次には大手門跡の立派な虎口石垣が現れ、益々嬉しくなってくる。その虎口を入って行くと、2段になった結構広い削平地へと出る。この辺りは、関ヶ原合戦後に領地回復した小里氏の御殿場(居館・陣屋)跡である。
ここに心配していた「まむし注意」の案内板を早速見つけてしまった。この「まむし注意」の案内板は、この後登る山頂までの道で、幾つも見掛けることとなった。
さて山頂へは、御殿場跡の上の段の奥の方から登城道をひたすら登って行く。登城道はよく整備はされているものの、あまり登る人がいないらしく、やたらと蜘蛛の巣が顔に纏わり付くので参った(おまけに「まむし注意」である)。
山頂へは、20分ほどで着く。先月来の腰痛のため、不安の中、久々の登城だったので、この程度の山城で少しほっとした。
登城道途中には、あまり遺構らしきものは確認することが出来なかったが、山頂近くになると、大きな石が転がり、石垣も現れ、さらには腰曲輪様の削平地も確認される。
そして、何といっても、山頂には不等辺6角形の天守台のような石垣が残っている。この天守台は穴蔵式になっており、祠が祀られている。規模はそれほど大きくはないが、こんな山の上にと思うと、やはり大きな感動がある。
尤も、この天守台と思われる石垣は、穴蔵に礎石が据えられていないことや、石垣の急勾配などからみて狼煙台であるという説が強いようだ。
また、この山城は未完成の城であるとのこと、天守台(狼煙台?)の周りには、そこらじゅうに大きな石が転がっているのが、何となくものの哀れを誘う。
また、山頂から眼下の景色を見下ろすことは出来るが、残念ながら霧雨模様の天候で霞んでいたのが残念だった。
(2008/05/05登城して)
ギャラリー
登城口
県道20号線沿いに建つ「小里城山城址登り口」の看板のところから登り始める。
最初に現れる石垣
登城口から登り始めると、いきなりこの石垣が現れ、期待が膨らむ。
大手門跡
石垣の前を通り、100mほど登ると、大手門跡の立派な虎口石垣が現れ、益々嬉しくなってくる。
御殿場跡
虎口を入って行くと、2段になった結構広い削平地へと出る。この辺りは、関ヶ原合戦後に領地回復した小里氏の御殿場(居館・陣屋)跡である。ここに心配していた「まむし注意」の案内板を早速見つけてしまった。この「まむし注意」の案内板は、この後登る山頂までの道で、幾つも見掛けることとなった。
御殿場上の段
御殿場上の段には「小里氏御殿場跡」と刻まれた石碑と説明板が立っている。
御殿場跡から山頂へは、御殿場跡の上の段の奥の方(写真左奥の案内板手前)から登城道をひたすら登って行く。
登城道
登城道はよく整備はされているものの、あまり登る人がいないらしく、やたらと蜘蛛の巣が顔に纏わり付くので参った(おまけに「まむし注意」である)。
木戸跡?
途中、割った(割れた?)巨岩の間の石段を通って行く。木戸跡だろうか?
さらに登城道を登って行くと石垣が
山頂近くになると、大きな石が転がり、石垣(右写真)も現れる。
腰曲輪
そして、腰曲輪も幾つか散見されるようになる。
本丸下の石垣
この石垣の横を通って行くと、主郭へと出る。
天守台(狼煙台?)
主郭には天守台(狼煙台?)が良好に残っている。規模はそれほど大きくはないが、こんな山の上にと思うと、やはり大きな感動がある。また、この山城は未完成の城であるとのこと、天守台の周りには、そこらじゅうに大きな石が転がっているのが、何となくものの哀れを誘う。
天守(狼煙台?)虎口
天守台(狼煙台?)穴蔵
天守台(狼煙台)は穴蔵式になっており、祠が祀られている。
天守台(狼煙台?)と巨石の矢穴跡
天守台(狼煙台)の隅には巨岩が巧みに利用されている。また、周囲に転がっている石には矢穴の跡(手前の石)が残っていた。
主郭下から天守台(狼煙台?)を
天守台(狼煙台?)の周りだけでなく、主郭石垣(写真中央)下にも多くの巨岩が転がっている。
2郭は青々としたモミジが綺麗だった。紅葉の季節に来たら、さぞや素晴らしいことだろう。