遠江 堤城(菊川市、旧小笠町)

城址碑前から堤城の出城を

今川氏の家臣松井氏が今川氏の遠江進出の一環として築いた城

所在地

静岡県菊川市下平川字堤
【アクセス】
東名高速菊川ICから県道37号線を5kmほど南下し、牛渕川に架かる城下橋を渡って100mほどにある路地を東へ左折するとすぐ左手に「堤城址」と書かれた標柱がたっています。その左(北)に見える小山が城山と呼ばれる出城です。標柱のところを左折すると公民館があり、そこに登城口と駐車スペースがあります。標柱の右前方の山が主城(千畳)ですが、こちらは山の南側へ廻って登る道があるようですが、今回は山麓から写真を撮っただけです。

所要時間

今回は、出城だけでした。出城は、山麓から山頂部まで3分ほどで、出城の見学総時間は10分ほどでした。

形状

丘城

現状・遺構等

【現状】 山林、茶畑
【遺構等】 曲輪、土塁、堀切、城主松井信薫の墓、石碑、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2014/05/21

歴史等

堤城が、いつ頃築城したかは明らかではないが、永正年間(1504~21)今川氏親の遠江進出の一環として、今川氏の家臣・松井氏により築城されたと伝えられる。
永正10年(1513)松井宗能が今川氏親から「下平河」を与えられ、享禄元年(1528)には宗能の嫡子貞宗が相続して堤城主となった。そして、永禄2年(1559)には貞宗の次男宗信が貞宗の跡を継いだ。
一方、貞宗の長男信薫(のぶしげ)は、永正11年(1514)今川氏親から二俣城に移るべく命ぜられ、二俣城主となった。
享禄2年(1529)信薫が病死すると、その跡を宗信が継ぎ、今川義元の先鋒として三河国各地で歴戦したが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで、主君今川義元とともに戦死した。
その後、宗信の嫡子・宗恒が下平川を継ぎ、信薫の子宗親が二俣城主になった。
しかし、徳川家康の東三河進攻により、永禄6年(1563)曳馬城主飯尾連竜の反乱を誘発した。その際、宗親が飯尾氏の姻戚(姉婿)であったことから、叛意を疑った今川氏真により駿府で謀殺された。
その後、今川氏の支配力が衰え、三河で独立した徳川氏が遠江へ、甲斐の武田氏が駿河へ侵攻を始めた。この情勢を受け松井氏も徳川方・武田方・今川方に分裂して戦い、元の主家今川家が滅亡すると国人領主としての松井氏の勢力は全く衰えた。尚、堤城の廃城時期は不詳ですが、この前後のことではないでしょうか。
結局、徳川家康に属した庶流の松井宗直の系統が徳川氏の旗本として残り、天正18年(1590)の徳川氏の関東移封に従い上野国へ移住した。
『「静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)」、「日本城郭大系9」、「現地説明板」、「ウィキペディア・松井宗信」ほか参照』

現況・登城記・感想等

堤城は、城山と呼ばれている部分(出城)と、千畳敷と言われる主城の2つの部分からなります。
出城は、低いながらも、お椀型のかなり急峻な山の上にあり、遥か遠くまで見渡せ物見には絶好です。また、山上には櫓台のような土壇があり、北東に延びる尾根は堀切で断ち切られています。
松井屋敷跡とされる墓地を挟んで、出城の東にある山が主城です。「静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)」によると、「主城は千畳敷と呼ばれる主郭を中心として、2つの大きな堀切で東方の尾根伝いの敵に対して備え、その他にも千畳敷に連なる小さな尾根は、それぞれ数ヶ所で掘り切られている。主郭には『堤城千畳敷跡』の石碑が建っている。」とあります。
主城跡へは南側の大手屋敷口から登れるようですが、よく分からず、また、時間がなかったこともあり、今回は南東山麓から写真を撮るだけにしましたが、今では多くの部分が茶畑になっているようでした。
(2014/05/21登城して)

ギャラリー

【出城】
出城への登り口
公民館の前(南西山麓)に登城口があり、そこには説明板が立っています。登城道は、よく整備されています。
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堤城主・二俣城主の松井信薫の墓
登城口からしばらく登ると右手に堤城主、さらには二俣城主となった松井信薫の墓があります。
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山頂部の土壇
登城口から3分ほどで山頂に到着です。山頂は平坦地となり、西側が一段高い土壇が設けられています。
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山頂の平坦地
土壇上から東側を撮ったものです。平坦地の周囲は全て絶壁です。
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山頂からの眺望(南方面)
山頂からの眺望は良く、物見の場所として絶好の位置にあります。
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山頂から北東方面には富士山が
天気に恵まれれば、北東方面には富士山も見えるようです。
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山頂からの眺望(北東方面)
雨上がりで、澄み切っていたのですが、残念ながら、富士山周辺はまだ天気が悪いようで富士山は見えませんでした。
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堀切
北東方面へ下りて行くと、山裾に「堀切」があります。
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出城の斜面
山裾にて斜面を見ると、出城周囲が絶壁なのが分かります。
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山麓の松井屋敷跡(現在は墓地)から出城を望む
出城の東麓には墓地がありますが、松井屋敷跡です。
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山麓の松井屋敷跡から主城を望む
松井屋敷跡(墓地)の東側には主城があります。こちらも西面は急崖になっています。
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南東山麓から主城を望む
主城へは、南側から登って行くようですが、時間に余裕がなかった上、登城口もすぐには見付からなかったので、主城への登城は、またの機会に譲って、南東山麓から写真を撮って帰りました。主城跡の多くは、茶畑になっているようです。
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