駿河 葛山城(裾野市)

本丸跡

東駿河の葛山氏により築城、北条・今川・武田の抗争の狭間で

読み方

かつらやまじょう、かづらやまじょう

所在地

静岡県裾野市葛山、仙年寺の裏山
仙年寺:裾野市葛山491、電話055-997-1035

形状

山城(標高265m)

現状・遺構等

現状:山林 【市指定史跡】
遺構等:曲輪、土塁、虎口、空堀、堀切、竪堀、畝堀、石碑、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2006/05/28

歴史等

葛山城は鎌倉・室町・戦国期を通じて東駿一帯に勢威を振った葛山氏の本拠地である。城主・葛山氏は駿東郡から小田原方面にかけての豪族・大森氏の一族で、藤原惟兼(これかね)というのが葛山に住んで、はじめて葛山氏を名乗ったという。鎌倉幕府の御家人であった。
平時居住した館と戦時の詰の城があるが、平時の居館葛山館ができたのは、鎌倉時代のころのようである。そして戦時の詰の城・葛山城は室町時代中期ごろに築城されたようである。
室町期の葛山氏は国人領主として位置づけられる。次第に守護大名今川氏の被官になっていったが、独立的地位は戦国期に至るまで保たれた。例えば、伊勢新九郎(北条早雲)が堀越御所を急襲して足利茶々丸を討った時、葛山から早雲に援軍を送ったこと、早雲の二男・氏時を葛山氏が養子に迎えているなどによって、葛山氏の独立的位置が証明される。
今川氏と北条氏が甲斐の武田信虎と対抗していた時代には、この両者に挟まれてそれなりに安泰だったが今川義元と武田信虎が和睦し、これに怒った北条氏綱が駿東に侵出しはじめると、葛山氏も苦しい立場に追い込まれる。やがて今川氏が衰退すると葛山氏は武田信玄と北条氏康の間で二股を掛けるが、やがて信玄により誅殺され、信玄の六男・信貞が葛山氏を嗣ぐが、天正10年(1582)武田氏は滅び、信貞も甲斐善光寺で自刃、葛山氏は断絶し葛山城も廃城となった。
『静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)参照』

現況・登城記・感想等

葛山城は、葛山館の北西にある仙年寺の裏山にあたる愛宕山に築かれた山城で、山頂部に本丸と二の丸を置き、周囲を二段の帯曲輪がめぐり、東西に延びた尾根に東西それぞれ出丸を配置しています。
出丸と主郭部の間にはそれぞれ二重堀切(東側が1号堀と2号堀、西側が5号堀と6号堀)が設けられています。
また仙年寺側(南側)には二筋の竪堀(3号堀と4号堀)が掘られています。
そして、これらの堀や土塁などの遺構が良好に残され、比較的整備も行き届いているのですが、今回は植物があまりにも元気な5月末で、かなりの藪でした。やっぱり冬場に登城すべきですね(;>_<;)。
尚、本丸からの富士山の景色が素晴らしいらしいのですが、残念ながら雨混じりの天気で景色は全く見えませんでした(/。ヽ)。
(2006/05/28登城して)

ギャラリー

葛山城鳥瞰図(現地案内板より)
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葛山城址遠景
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仙年寺
仙年寺は葛山氏の菩提寺で、創建は延暦年間(782~806)に開かれたのが始まりと伝えられています。石段を登ると武家造りの重厚な山門が目に留まりますが、これは「葛山氏居館」の門を移築したものではないかと云われています。
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仙年寺裏にある葛山氏墓所
寺の奥には葛山城に通じる道があり、葛山氏歴代の墓があります。
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仙年寺裏からさあ登城
仙年寺本堂の左のはずれ、墓地と本堂の間の道を通り本堂のうしろに出ると、そのまま裏山(葛山城址)に登る階段があります。ほぼ直登の階段です。
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本丸方面と大手方面への分岐点(写真奥は2号堀)
山道のほぼ真っ直ぐな階段を10分ほど登ると、2号堀と呼ばれている堀切(写真奥)に出ます。登ってきた山道もどうやら、その2号堀の続きの竪堀跡に築かれた階段だったような?
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【空堀】
主郭部と東出丸の間の二重堀切(1号堀と2号堀)
東出丸側から撮った写真で、手前が1号堀で奥が2号堀です。
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(1号堀)
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(2号堀)
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3号堀(竪堀)
3号堀と4号堀は竪堀ですが、すごい藪のため案内板がなければ見逃してしまいそうです。
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4号堀(竪堀)
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主郭部と西出丸の間の二重堀切(5号堀と6号堀)
二の丸の土塁上から撮った写真で、手前が5号堀で奥が6号堀です。
5号堀と6号堀

5号堀
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6号堀
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畝状竪堀
案内板がなければ、まず気が付きません(苦笑)。
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【曲輪】
本丸
本丸は最高所にあり、北側にのみ土塁が設けられています。
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富士見処
本丸からの富士山の景色は素晴らしいとのことで、本丸の北側に「富士見処」というのがありましたが、残念ながら雨混じりの天気で景色は全く見えませんでした。
富士見処

二の丸
二の丸は西側から北側にかけて土塁がめぐっています。写真奥は東側で、土壇上が本丸です。
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二の丸虎口
二の丸への虎口は西側にあり、登り虎口になっています。写真右上は二の丸西側の土塁です。
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二の丸下の帯曲輪
この先に二の丸への虎口がある。
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東出丸(東曲輪)
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【大手】
大手道
大手道は、山の東側にありますが、こちら側には駐車せきる場所がありません。また、道も普通車が何とか1台通ることができるだけです。
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大手曲輪
大手の坂道を登り切ったところが大手曲輪です。ここをさらに西へ向かうと東出丸(東曲輪)へ出ます。
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コメント

上 功(2011/01/18)

元旦に城攻めしてみました、多少手入れしているようでした今度は古城に足を運びたいと思っています。武装してかなければならないでしょうね。

タクジロー(2011/01/19)

上功さま
コメント有難う御座います。
古城は、あることは知っていたのですが、その時は場所が分からなくて登城しませんでした。
いつか登城したいと思っています。
登城され、お教え戴ければ嬉しいです。
今後とも、宜しくお願いします。

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