駿河 持舟城(静岡市)

本丸背後の大堀切

今川氏時代には駿府防衛の支城、武田氏時代には武田水軍拠点の城

別名

用宗城

所在地

静岡県静岡市駿河区用宗城山町
【行き方】
JR用宗駅の北西にある小高い丘が城址。持舟城へは、山麓にある浅間神社(東海道線用宗駅から北西側の線路沿いに静岡方面へ150mほど行った所)の脇の道(舗装された農道)から登る。駐車場は用宗駅の線路の反対側(北西)にある大雲寺の駐車場を借りた。

形状

海城、平山城(標高約70m、比高約65m)

現状・遺構

現状:山林、畑地
遺構等:曲輪、空堀、土塁、井戸、石碑

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2007/04/14

歴史等

持舟城は、今川氏の時代には、駿府館を守る支城の一つとして、丸子城・愛宕山城(茶臼山城)と共に重視されていた。用宗郷に所領を持っていた今川氏の重臣の一人、一宮元実というものがいるが、持舟城の城主だったという所伝はない。
後、武田氏の支城となり、武田水軍の拠点の城として位置づけられ、水軍の将・向井伊賀守正重が守っていた。
天正7年(1579)9月、徳川家康が攻撃し守将の三浦義鏡、向井伊賀守ら30余名の将兵が討ち死にした。翌天正8年(1580)、武田勝頼が奪い返し、朝比奈氏秀(朝比奈信置)が守っていた。しかし天正10年(1582)徳川軍は再びこれを攻撃し、守将氏秀は守りきれず降伏し(信置は庵原山城へ退却し)、以後、持舟城は廃城となった。
向井一族は、伊勢国尾鷲の豪族で、水軍の指導者として今川氏に迎えられた。ここが武田氏が領有するようになっても、向井一族は武田水軍の指導者として港を新しく開いた。この時から「持舟」の名が生まれ、駅名になった。
用宗駅構内は、往時、軍船の船溜りのあった所とされる。
尚、向井伊賀守正重の嫡子正綱は、後に徳川氏に仕え徳川水軍として大いに活躍したようで、隆慶一郎氏は、小説『見知らぬ海へ』で正綱を主人公としてその活躍ぶりを描いている。非常に痛快なお薦めの本である。
『「静岡県古城めぐり(静岡新聞社刊)」、「サイト・静岡見て歩き・持舟城跡」参照』

現況・登城記・感想等

持舟城へは、山麓にある浅間神社の脇の道から登り、途中で本丸への登城道に入る。本丸には山麓から7~8分ほどで辿り着く。
本丸は東西が50m、南北が20mほどの長方形で、かつて建っていた城山観音堂の廃屋が残り、その側に城址碑がある。
本丸の北及び西の崖下には帯曲輪跡があり、廃寺の裏側に回ると、深さ5m、幅(上部)10mほどの大堀切がある。堀切の向こう側は二の丸である。堀底の隅にはかなり大きな井戸跡が残っているが、金網で囲まれていて入ることが出来ない。この辺りが、この城跡として最大の見所であろう。
しかい、当城跡で一番の魅力は、本丸跡からの眺望であろう。眼下には東名高速道路とJRの線路が走り、その向こうには静岡市街、更に奥には富士山の雄大な姿を見ることが出来る。一方、右方面には、日本平が見え、さらに右に目を向けると、眼下に用宗の町並みと、その向こうに青々と光り輝く駿河湾が見え、さらにその奥には霞んではいるものの、伊豆半島が見える。しばらく、その景色に見入ってしまった。
(2007/04/14登城して)

ギャラリー

登城道
持舟城へは、山麓にある浅間神社(東海道線用宗駅から北西側の線路沿いに静岡方面へ150mほど行った所)の脇のつまらない道(舗装された農道)から登る。この道は農協の許可なく車で通ることが出来ない。尤も、車で登っても、駐車出来るところがないが。途中、「汐見坂」という石碑があった。
この辺りですでにかなり眺望が良い。確かに、この坂からなら、潮の流れがよく分かるだろう。
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舗装された農道をしばらく歩いて登って行くと、分かれて本丸への登城道に入る。やっと城跡らしい道になる。本丸には、ここからは4~5分ほどで辿り着く。ここも含めて、小さな石で組まれた石垣が、城址のあちこちで見られる。結構古いもののようにも見受けられるが、当時のものかは定かではない。
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本丸
本丸は東西が50m、南北が20mほどの長方形で、かつて建っていた城山観音堂の廃屋が残り、その側に城址碑が立っている。
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本丸下の帯曲輪
本丸の北及び西の崖下には帯曲輪跡の削平地がはっきりと分かる。
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本丸背後の大堀切(二の丸側から撮影)
廃寺の裏側に回ると、深さ5m、幅(上部)10mほどの大堀切がある。この辺りが、この城址の最大の見所であろう。この堀底の井戸脇にも石垣があるが、やはり当時のものかどうかは分からない。
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本丸背後の大堀切(堀底にて撮影)
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井戸跡
堀底の隅には。写真では分かりづらいが、かなり大きな井戸跡が残っている。残念ながら金網で囲まれていて、入ることが出来ない。
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金網越しに見ると、石組みのようだ。
DSC07504

【本丸からの眺望】
この城址の見所の一つに、本丸跡からの景色がある。本丸からの眺望は実に素晴らしい。眼下には東名高速道路とJRの線路が走り、その向こうには静岡の町並み、更に奥には富士山の雄大な姿を見ることが出来る。一方、右方面には、日本平が見え、さらに右に目を向けると、眼下に用宗の町並みと、その向こうに青々と光り輝く駿河湾が見え、さらにその奥には、霞んではいるものの、伊豆半島が見える。しばらく、その景色に見入ってしまった。
(東から北東方面にかけて) ~クリックにて拡大画面に~

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(北東方面を) ~クリックにて拡大画面に~
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富士山をズームアップ
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南東方面(駿河湾方面)を ~クリックにて拡大画面に~
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用宗漁港から見る持舟城址(中央手前の小山が持舟城址)
用宗は、今では漁港を中心とした町で、魚が美味く、鮨屋等々美味しい店も漁港近くにある。静岡在住時代には、よく行ったものである。
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コメント

 吉富正和(2007/08/06)

朝比奈さんの友達です。
ただ今 朝比奈氏を研究中です。
今後共宜しくお願い申し上げます。

  横浜の 吉富正和 70歳

タクジロー(2007/08/07)

吉富様
こちらこそ宜しくお願いします。
私も、静岡市・浜松市には合計16年も在住していたことがあり、岡部にも時々行ったことがあります。また、司馬遼太郎さんの「箱根の坂」の中に朝比奈氏の名前を見て、一度は朝比奈城へも行きたいと思っていたのですが、残念ながら岡部の朝比奈城も掛川の方の朝比奈城にも行ったことがありません。
また、いろいろ教えて下さい。今後とも宜しくお願い致します。

金太郎(2007/12/10)

タクジロー様
先ほど持舟城まで行ってきました。静岡市在住の者です。サイクリングの通りがかりで、用宗公民館前の向井正重以下城兵の慰霊碑を偶然発見、興味をもち本丸跡まで登ってきました。山城があったことは知っていましたが、今川、武田、徳川の取り合いが行われ多くの命が失われた場所とは知りませんでした。登ってみて、静岡市が一望でき、また伊豆半島から御前崎までの駿河湾が一望でき、確かに戦略的に重要な拠点であったことがしのばれます。帰宅し、ネットで向井氏のその後の数奇な運命なども知り、地元の歴史もいま少し勉強せねばと考えました。

タクジロー(2007/12/11)

金太郎様
コメントありがとうございます。
私も、以前静岡に住んでいたことがあり、懐かしく思いました。
持舟城址からの眺望は本当に素晴らしいですね。
また静岡近辺の城めぐりがしたくなりました。
また、向井氏のことなどをはじめ、いろいろ教えて下さい。

中川達朗(2008/06/29)

初めまして,私は中川と申しますが,祖母の祖母が,朝比奈という人で,武田信玄と,朝比奈駿河守信置との,血判状が戦前家にあったと、よく私に言っていましていろいろ私自身調べています。ちなみにその朝比奈氏は、江戸時代、神田駿河台にいたと言ってました。何か,朝比奈駿河守についての情報あれば,教えて頂けませんでしょうか。連絡お待ちしております。

タクジロー(2008/06/30)

残念ながら、よく分かりません。
情報が入ったら連絡させて頂きます。
江戸時代初期に、神田の山を削って駿河台を造って、駿河出身の旗本の多くが移り住んだ時に、一緒に移ったのでしょうね。

向井尉記(2012/07/12)

昨日、訪れました。

我が家の御先祖様達の戦いの後。

とても郷愁を感じました。

この持舟城を舞台にした隆慶一郎

先生の小説【見知らぬ海へ】を読ん

だ後の事です。

タクジロー(2012/07/13)

向井尉記さま
当サイトへのご訪問とコメントを有難うございます。
向井氏の末裔の方とは、羨ましいような・・・。
隆慶一郎氏の小説『見知らぬ海へ』での活躍は、何とも爽快ですね。
今後とも宜しくお願い致します。

しんしん(2012/07/17)

1年前まで住んで居た場所にほど近く、いつも電車で通り過ぎていました。用宗にそんなに歴史のある城址が有ったとは知りませんでした。多くの所縁のある方々のコメントを読ませて頂き感慨深いものがあります。歴史好きとしまして、この際用宗は持舟という漢字を使用したらいいなぁ~と願っています。

タクジロー(2012/07/17)

私も、静岡には10年ほど住んでいたことがあります。
用宗には、よく寿司を食べに行きました。
懐かしいです。

中村(2015/06/10)

曾祖母の実家奥原は久世家の家臣でしたが、戦国までさかのぼると朝比奈駿河守の重臣で、徳川勢と戦っていたと知りました。朝比奈氏は軍略家だったそうで、もうすぐ討たれる運命の織田にやられたのは、気の毒な思いがします。

タクジロー(2015/06/11)

中村さま
朝比奈氏は、優秀且つ勇敢な方を多く輩出しているようですね。
ところで、中村さまのブログを早速見せて戴きました。
芸術的才能があって羨ましいかぎりです。

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