魚町稲荷神社
武田信玄が築き穴山梅雪が入城も、高天神城の落城により開城
別名
小芝城
所在地
静岡県清水区江尻町14-63(江尻小学校)
形状
平城
現状・遺構等
現状:市街地、江尻小学校
遺構等:石碑、説明板
満足度
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訪城日
2007/04/14
歴史等
永禄11年(1568)12月、駿河に攻め入った武田信玄は、翌永禄12年(1569)、東の後北条氏、西の徳川氏に備え、
現在の江尻小学校の敷地に、蛇行する巴川を利用して江尻城を築き、山県昌景が入城した。
天正3年(1575)長篠の戦いで昌景が戦死すると、武田家親族筆頭の穴山信君(梅雪)が入城した。天正6年(1578)、
信君は城を大改築し、本格的な城にした。
しかし、天正9年(1581)、遠江高天神城が、
徳川氏の手に落ちると、この江尻城も徳川氏の圧力を受け、翌天正10年(1582)3月、信君は家康に降伏し、開城した。信君は、
織田信長より江尻の所領安堵を受け、安土へ赴いた。その折に本能寺の変が勃発し、土一揆に遭遇し横死した。跡を継いだ子・
勝千代も16歳で夭折し、穴山家は断絶した。
その後、豊臣氏・徳川氏の家臣が城代を勤めたが、慶長6年(1601)に廃城となった。
『現地案内板等参照』
現況・登城記・感想等
江尻城址は、完全に市街地に埋もれてしまい、遺構等は跡形も無い。江尻小学校のあたりが本丸であったようであり、
校庭内に石碑と説明板があるとのことであったが、サッカー大会が開催されているとのことで、入り口附近は、父兄の人が多くたむろしていて、
胡散臭そうに見ているので、小学校を一周し、小学校の横にある魚町稲荷神社と江尻城に関する説明板だけ写真に撮るだけにした。
小学校は、最近変な事件が多くて、校内へ入りづらくて、ついつい遠慮してしまう。何て気が弱いんだろう(´^`。)!
尚、江尻小学校の南東にある魚町稲荷神社は、江尻町誌によると、穴山梅雪が、この地に社殿を造営したと言われており、
この辺りは外堀に面した場所だったようで、ここから東へ城下町が広がっていたそうだ。
(2007/04/14登城して)