南西側の二重土塁と空堀
神戸(織田)信孝に従った大久保氏の居城
所在地
三重県鈴鹿市大久保町
【アクセス】
法雲寺の横(北東)
法雲寺:鈴鹿市大久保町2088
大久保町集落センターに駐車し、すぐ北西にある路地を右折し北東方向へ100m強で城跡。
大久保町集落センター:大久保町1979
形状
平城
現状・遺構等
【現状】城跡として整備
【遺構等】曲輪、土塁、空堀、虎口、標柱
満足度
★★★☆☆
訪城日
2010/11/29
歴史等
大久保城は、四日市市采女町と滋賀県甲賀市土山町鮎河に出る鮎河越とよばれる街道筋にある。
大久保城に居城した大久保伊豆守は、天正11年(1583)、織田信長の三男で関一族の神戸家を継いだ信孝と兄信雄の対立に際し、信孝に従い、岐阜で討死し、城も廃城となった。
伊豆守の息子覚兵衛・権大夫はそれぞれ京極家・池田家に仕えたという。
『日本城郭大系10より』
現況・登城記・感想等
あまり期待もせず登城したら、木々が伐採されて整備された見事な城跡が現われ、驚いたというか得したような気持ちになった(^^)。
主郭の北半分は、開墾による削平で土塁や空堀が消滅してはいるが、その他はかなり良好に残っている。
南側周囲を土塁と空堀で固められており、特に、南西側の二重土塁と堀は見応えがある。
また、中央部のコの字形に残る部厚い土塁も高くて見事だ。
背後には鈴鹿連峰の一つ入道ケ岳が迫り、何となく往時の原風景のように思え、感慨(妄想?)に浸った(^^)。
(2010/11/29登城して)
ギャラリー
南西側外側の空堀
大久保町集落センターに駐車し、法雲寺の前を通って北東方向へ進むと、最初に、左手にこの空堀が見える。
意外にも見事な城跡が
そして、見事な土塁や空堀が残る城跡が現われる。鈴鹿連峰とのコラボが往時の原風景を思い起こさせてくれる?
虎口
虎口付近は石で固められ、少し改変があるかもしれないが喰い違い虎口になっていたようだ。
中央土塁
土塁は部厚くてかっこいい。特に、西端(奥)の角部分は幅も広く、往時は櫓が建っていたのだろう。
主郭部
土塁西端部から主郭部を撮った。左奥の一段高いところは破壊された部分。
南西側の二重の土塁と空堀
この城跡の中でも最大の見どころだろう。実に見事だ! 右側の竹が林立する土塁の向こう側が、最初に見えた空堀である。