伊勢 草生城(津市安濃町)

主郭周囲をめぐる空堀

中勢の国人領主長野氏一族の草生氏の城

所在地

三重県津市安濃町草生字仲之郷
【アクセス】
西蓮寺の前(南側)の道路(県道亀山白山線)を400mほど西進した道路端に説明板があり、その脇から登城する。駐車場所はないので、西蓮寺の方にお断りをして境内(庭)の隅に置かせてもらった。
西蓮寺:安濃町草生2041-2、TEL059-268-1438

所要時間

今回の見学時間は登城口から往復で1時間弱でした。

形状

平山城(標高130 m、比高40m)

現状・遺構等

【現状】山林
【遺構等】曲輪、土塁、櫓台、空堀、土橋、説明板

満足度

★★★☆☆

訪城日

2008/05/06

歴史等

草生城の正確な築城年代は分からないが、恐らく戦国時代に築城されたものと推測される。
城主は国人領主長野氏一族の草生氏である。草生氏は、南北朝時代に長野氏5代豊藤のころに分家したと言われているが詳細は不明である。「勢州軍記」には、「家所・細野・分部の各家と共に長野の与力として侍300人、内馬上50騎小人200人、合500之大将」と記されている。
安濃城が落城した際に、草生氏も織田信長の配下になったと言われている。
『現地説明板より』

現況・登城記・感想等

西蓮寺の西にある小高い山が草生城跡である。西蓮寺の前(南)の道路を西へと400mほど行った道端に説明板があり、 その脇から入って行くが、登城入口は、一瞬入って行くのをためらうほどの藪であったが、強引に入って行くと、すぐに土橋というか一騎駆けのような道へと出た。道の左側には土塁と空堀越しに主郭が見え、真っ直ぐ進むと二の郭虎口へと出る。
さて、草生城は、東西250m、南北90mの規模で、一段高い主郭の周囲は空堀が取り囲み、土塁も一部残っている。その空堀は深さ5mほどはある上、良好に残っており見応え充分である。
主郭の北西隅は少し高くなっているが、櫓台跡のようだ。
主郭の東側にある二の郭は、主郭よりかなり広く、雑木林になっていて整備されているとは言い難いが、高さ2mほどある土塁が所々に残っている。特に、南西の虎口あたりの土塁は良好に残っている。
草生城は小ぶりながらも、このように多くの遺構が良好に残り、かなり見応えのある城跡であるが、 もう少し整備が行き届いていたらなあと思うのは贅沢であろうか?
尚、説明板には主郭の西には4つの郭が連なり、南側には広い郭が形成されているとあったが気が付かなかった。
(2008/05/06登城して)

ギャラリー

 草和城縄張図(現地説明板より)
DSC08947

【登城口脇に設置された草和城説明板】
西蓮寺の前(南側)の道路(県道亀山白山線)を400mほど西進した道路端に説明板があり、その脇から登城する。
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登城口
登城口は、一瞬入って行くのをためらうほどの藪だったが・・・。
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【土橋(一騎駆け?)】
藪の中へ強引に入って行くと、すぐに土橋というか一騎駆けのような道へと出た。右写真奥へ進むと二の郭の虎口へと出る。
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【主郭】
土橋の左側に土塁があり、その土塁を上ると空堀越しに主郭がある。
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主郭上
主郭上は、草ははえていないが、雑木林のままである。
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櫓台
主郭の北西隅は少し高くなっているが、説明板の縄張図によると櫓台らしい。
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【主郭を周囲を巡る堀・堀・堀】
主郭北側の空堀 (堀底にて撮影。堀の左上が主郭)
主郭の周囲は空堀が取り囲んでいる。空堀は深さ5mほどはあろうか良好に残っており、見応えがある。
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主郭北東部角の空堀(堀の左側は二の郭、右側は主郭)
DSC08969

主郭東側の空堀(主郭上から撮影。写真右側は主郭、左側は二の郭)
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【二の郭】
主郭の東側にある二の郭は、主郭よりかなり広く、高さ2mほどある土塁が所々に残っている。ただ、雑木林になっていて整備されているとは言い難く、全てを見て廻ることができなかったのが残念無念(;>_<;)。
DSC08971

二の郭南西部の虎口
二の郭の南西にあるこの虎口辺りの土塁はよく残り、なかなか見応えがあった。右側(南)は急崖になっている。
DSC08975

二の郭南側の土塁
虎口(上写真)から続く、この土塁は2mはあるだろう。良好に残っていた。
DSC08977

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