播磨 篠ノ丸城(宍粟市)

本丸虎口の土塁(櫓台)上に建つ城址碑と手前に空堀

長水城の支城、秀吉による播磨平定の際に落城

読み方

ささのまるじょう

別名

山崎山城、鹿沢城(しかざわじょう)、中世山崎城
*山城の篠ノ丸城と平城の山崎城は、混同して呼ばれることも多く、この混乱を避けるために、平城と山城、及びそれぞれが機能した時代から単に「近世山崎城」、「中世山崎城」とすることもある。

所在地

兵庫県宍粟市山崎町加生
【アクセス】
国道29号「しそう農協前信号」を西へと県道429号に入り、500m程西進すると県道429号は右折となるが、そこを直進し、更に1km程西進し最上山公園へ登って行くと公園駐車場に着く。公園の反対方向(北)が登城口。

駐車場からの所要時間

最上山公園駐車場から主郭まで15~16分

形状

山城(標高324.6m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空堀(横堀、竪堀、畝状竪堀群、堀切)、虎口、石碑

満足度

★★★☆☆

訪城日

2011/11/12

歴史等

篠ノ丸城が築かれた篠山は伊沢谷・菅野谷・揖保川谷が集まる山崎町に突き出た戦略的要衝に位置していたため、古くから赤松氏一族の釜内家春が山岳陣地を築き、貞和年間(1345~50)頃には赤松貞範が城を築いたという。これが篠ノ丸城の始まりといわれる。
嘉吉元年(1441)の「嘉吉の乱」により赤松氏が滅び、但馬の山名氏の支配下に入った播磨であったが、応仁元年(1467)~文明9年(1477)の「応仁・文明の乱」に乗じて赤松政則赤松氏を復興して旧領を回復した時、篠ノ丸城の北方3.5kmの長水城に宇野氏を入れ、篠ノ丸城は宇野氏の家臣に守らせた。
天文7年(1538)に、赤松政村は尼子詮久に敗れ、この頃を境にして自立化を深めた宇野氏は篠ノ丸城を重要な城と位置付けてきた。
しかし、天正8年(1580)の宇野光景の時、羽柴秀吉により長水城と共に落城した。
戦後、秀吉から山崎の地を預かった黒田孝高(官兵衛・如水)は本拠を篠ノ丸城に置いたと伝えられている。
天正15年(1587)、秀吉の九州平定が終わると、孝高は豊前中津に12万石で移封となり、代わって龍野城(鶏籠山城)から木下勝俊が入封し、篠ノ丸城を廃し、山麓に山崎城を築いた。
『「日本城郭体系12」、「ひょうごの城(神戸新聞総合出版センター刊)」より』

現況・登城記・感想等

篠ノ丸城址へは、山腹の最上山公園駐車場まで車で登って行けるが、最上山公園も含めて一帯がハイキングコ-スとなり多くのハイカーで賑わっていた。
従って、登城道はよく整備され歩きやすいが、途中にスズメバチの巣があり、スズメバチが飛び回っていてマイッタ(´Д`ι)。
篠ノ丸城は、山頂部に比較的広いほぼ方形(東西約40m、南北約55m)の本丸を置き、南・北・西に向かう尾根上に多くの曲輪を配置している。
本丸への虎口は南側に開いたいわゆる「平虎口」であるが、虎口手前から見る土塁と横堀、そして虎口脇の櫓台上に建つ城址碑の光景はなかなかのものだ。
曲輪群の中では、北尾根に累段に築かれた曲輪群の規模が最も大きく、畝状竪堀もあるようで、全く整備がされていない藪の中へ突入していったが、途中で諦めて戻った。
西尾根の本丸から80mほどの所に二の丸があるが、ここは本丸より約3mほど高いのだそうだ。その先の尾根には明瞭な二重堀切が設けられている。
(2011/11/12登城して)

ギャラリー

登城口(最上山公園駐車場)から篠ノ丸城を見上げる
篠ノ丸城址へは、山腹の最上山公園駐車場まで車で登って行ける。
01登城口

本丸虎口
最上山公園駐車場から、よく整備された道を15~16分ほど登って来ると山頂部の本丸の虎口前に到着。但し、途中、6~7匹ほどのスズメバチが威嚇するかのようにブンブン唸って飛び廻っているのにはまいった(´Д`ι)。虎口は南側に開いたいわゆる「平虎口」であるが、虎口手前から見る土塁と横堀の光景はなかなかのものだ。
02本丸虎口

本丸虎口の櫓台上に建つ城址碑
03城址碑

本丸
本丸は山頂部に位置し、中世の山城としてはかなり広いほぼ方形(東西約40m、南北約55m)で、南側と西側半分に土塁と空堀が確認できる。
04本丸

本丸西側の土塁
本丸西側の土塁側に多くの瓦が積んであったが、これは往時のものでなく神社社殿か何かのものだろう。土塁前には礎石のような石が確認されたが、これも・・・?
05本丸西の土塁

本丸西側の土塁と空堀
土塁と空堀は、南側から西側にかけて明瞭に残っている。右の土塁奥が本丸。
05本丸西の土塁と空堀

本丸北側の腰曲輪
本丸の北側には腰曲輪があり、本丸との高低差は2mほどある。さらに、この腰曲輪の北側には、階段状に多くの腰曲輪が設けられているが、全く整備がされておらず、途中まで降りて行ったが、諦めて引き返した(/。ヽ)。また、これら段曲輪の西側には畝状竪堀群があるらしいので見に行ったが、これまた途中で断念(;>_<;)。
06本丸北の腰曲輪

本丸北側の腰曲輪への枡形虎口?
本丸北側の腰曲輪の東側には枡形虎口のようなのがあったが、果たして・・・? 尚、このような凹部は、二の丸手前(東側)にも見られたが・・・? 尤も、南側にある大手虎口が平虎口なのだから、これらが枡形虎口跡とは考えづらいが・・・。
07本丸北の腰曲輪への枡形虎口かも

二の丸へ向かう
二の丸は、本丸南西隅から西に80mほど離れたところに位置するが、二の丸までの間にも幾つもの曲輪があったようだ。
二の丸へ向かう

二の丸
二の丸は本丸より約3m高いのだそうだ。
08二の丸

二重堀切へ
二の丸の西方尾根続きは二重堀切で断ち切っている。 
09二重堀切

二重堀切(二の丸側)
10堀切

二重堀切(西側)に架かる土橋
11土橋

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