播磨 白旗城(上郡町)

白旗城本丸跡

赤松氏のメッカ的本拠の城

読み方

しらはたじょう

別名

白旗山城

所在地

兵庫県赤穂郡上郡町赤松、細野、大富、野桑
【アクセス】
国道373号で赤松地区に入ると城の案内があり、登山口手前に大きな「白旗城跡」の看板があるのですぐに分かる思います。登城口近辺には、車を停めれるような場所が見付からなかったので、車は西方約1kmのところにある赤松円心館跡(赤松の郷昆虫文化館横の広場) に停めた。ちなみに野桑方面から登る道もあるが、そちらの方が道が長いようです。
赤松の郷昆虫文化館:上郡町赤松418、電話0791-52-6089

駐車場からの所要時間

赤松円心館跡から登城口(門扉)まで徒歩約11~12分
登城口(門扉)から主郭まで直接登れば1時間強だと思いますが、私は途中「櫛橋丸」経由で登ったので1時間15分ほど掛かりました。
今回の見学時間は約3時間でした。

形状

山城(標高440m、比高390m)

現状・遺構等

【現状】 山林(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、土塁、石垣、堀切、井戸、石碑、遺構案内板、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2011/11/14

歴史等

白旗城は、元弘3年(正慶2年、1333)に後醍醐天皇が北条氏討伐の兵を募った時に、赤松則村(円心)がいち早く築いて本拠としたという説と、建武3年(1336)に足利尊氏追討のために派遣された新田義貞を播磨に迎え撃つために築いたとの説があるが、「日本城郭大系12」では前説を、「ひょうごの城(神戸新聞総合出版センター刊)」と「現地説明板」では後説をとっている。
いずれにしても、白旗城は赤松氏の本城として初代則村から満祐までのメッカ的な存在の城である。
則村が、新田義貞を迎え撃った際の50余日にわたる白旗籠城戦が功を奏し、この間に足利尊氏も勢力回復の軍備を整えることができ、その功により則村は室町幕府の重臣として播磨守護職に任じられた。
赤松氏は、則村から則祐→義則→満祐と続き、満祐の代に全盛を迎えたが、嘉吉元年(1441)に満祐が将軍足利義教を殺害した「嘉吉の乱」で敗北し、赤松惣家は滅亡した。
その後、政則(満祐の弟義雅の孫)の時に赤松家は復興したが、政則は白旗城の東方約28kmに置塩城を築いて本拠としたため、白旗城の重要性は薄れていった。
『「日本城郭体系12」、「ひょうごの城(神戸新聞総合出版センター刊)」、「現地説明板」参照』

縄張

白旗縄張略図(本丸跡説明板より)
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白旗城は、山頂部に本丸を置き、北から南へと約800mに及ぶ尾根筋に三の丸・本丸・馬場・二の丸・櫛橋丸と曲輪が連郭式に並び、三の丸の北側・二の丸と櫛橋丸の間、櫛橋丸の南側を堀切で分断している。
尾根は概して痩せ尾根で、その痩せ尾根の上に無理に曲輪を設けているので、自然地形の制約を受け、曲輪の形状は不定形である。
二の丸から東に下ったところには侍屋敷(水の手とも)があり、この周辺部の所々には石垣も確認できる。
また、本丸と二の丸から東方へ派生する尾根には付曲輪が設けられているようだ。

現況・登城記・感想等

城めぐりをはじめてから、赤松氏に絡む城には見応えのある城址が多いことに気付いた。
白旗城は、そんな赤松氏のメッカ的な本拠の城であり、いつかは必ず登城しなければと思っていたが、書籍やネットで調べてみると、登城に1時間以上も掛かる上に、見応えのある遺構等もそれほど無さそうで、何となく今まで登城するのを躊躇していた。
今回、そんな念願の白旗城に、いよいよ登城することになった。
噂通りというか、調べた通り、苔で覆われた石が転がっているほぼ直登の登城道をひたすら登る1時間15分ほどの登城はかなり厳しいものであった。このような登城道は、しばらく経験したことがなかったので、実に印象深い。
縄張り等構造は、あまり複雑なものではないが、曲輪等の遺構が、それなりに良好に残り、想像していたより見応えがあった。ただ、侍屋敷や本丸付曲輪・二の丸付曲輪・大手曲輪辺りも、もう少し整備されたら、さらに良いのにと思うと残念だ。
というわけで、城跡としての満足度は★★★☆☆~★★★★☆といったところだが、登城道のインパクトと登城達成感?は断然★★★★★だ。
(2011/11/14登城して)

ギャラリー

【登城記】
赤松側から望む白旗城址遠景
車で赤松地区に入ると、山麓に「白旗城跡」の大きな看板が目に付く。その左側(道路正面奥)が赤松側からの登城道である。
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白旗城遠景による曲輪等遺構の案内(山麓道路脇の説明板より)
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赤松円心館跡に駐車
登城口周辺には駐車できそうなところがなかったので、西約1kmほどにある赤松円心館跡(赤松の郷昆虫文化館横の広場)に駐車した。
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赤松円心館跡から白幡城跡への案内図(現地説明板より)
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登城口
赤松円心館跡に車を置いて11~12分ほど歩いて登城口へ。登城口の門扉は紐で結ばれ閉ざされ、「扉を開閉できる方はご自由にお通り下さい」との案内板があるけど、この文章って
何か違和感が?? 一緒に登城した扉を開閉できる会社時代の友人・友井さんに開けてもらって登城です(笑)。
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いよいよ登り道へ
門扉から入り、最初は平坦な道で途中、山麓五輪塔群にも立ち寄ってみた。やがてトイレと説明板があり、杖がストックしてあるところに到着。ここから城跡まで約1.6kmの案内板も立っている。いよいよ、ここからが本番といったところだ。
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登城道
しばらくは普通の山道だが、すぐに苔で覆われた石がごろごろ転がっているほぼ直登の登城道になる。この歩きづらい道をひたすら登って行くことになる。
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登城道周辺の斜面
周りを見ると、足元だけでなく山の斜面にも無数の苔むした石や岩が転がっており、まるで超大型の石の庭を見ているよう?? まさに白旗城の壮大なスケールを感じる。
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ごろごろ転がっている石の上を踏んで、しばらく登ると自然石の石段の道になる。但し、石段だからといって、それほど歩きやすいわけではない。
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尾根上へ
説明板が設置されているところから、ひたすら登ること30分ほどで、やっと尾根上に出る。ここからは南側の眺望が開けてくるので、時折景色を楽しみながらの登城となるが、ここから、まだまだ登り道が続きます。
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堀切
尾根上を歩くこと3分ほどで岩盤を削り取った堀切が現れる。
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櫛橋丸へ
堀切からは尾根沿い東側の道を5分程進むと、櫛橋丸跡の案内板が現れる。左手の坂の上が櫛橋丸だ。かなり急な坂道である。
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櫛橋丸
滑りやすい急な坂道を3~4分ほど登ると櫛橋丸へ到着する。櫛橋丸は、全体が岩山で構築されているが、南側と北側に一部平坦地がある。出丸兼物見台の要素を持った曲輪であろうか。
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櫛橋丸山頂部南東側の平坦地
物見台的な曲輪であろうか。
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櫛橋丸南東部から麓を見下ろす
木々の間から麓の景色がよく見える。やはり、櫛橋丸は物見台的な曲輪だったのではないだろうか。
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大堀切
櫛橋丸を下り、二の丸方面へ向かうと、櫛橋丸と二の丸を分断する大堀切へ出る。但し、大正年間に赤松村の青年団が公園化するために埋められたらしく、今では単なる鞍部にしか見えない。地方の、こんな高い山の上を公園にしたところでどれほどの人が訪れるんだろう(苦笑)。残してほしかった(/。ヽ)。尤も、これだけ整備され、廻りやすくなっているのも、そのお蔭だろうけどネ。
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二の丸
二の丸は中央の曲輪を中心に西・南・東側に高さ2~3mの高低差で区画された帯曲輪が数段設けられている。
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馬場跡
本丸・二の丸間(二の丸の北側)は馬場跡と呼ばれる幅10~15m、長さ約100mの平坦地で繋がっている。
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本丸枡形虎口?
馬場跡を進んで行くと、前方に本丸虎口が見えてくる。虎口手前には、4段ほどの段曲輪がある。本丸跡への虎口は、外枡形のような地形になっているが果たして・・・?
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本丸跡
本丸は33m×21.5mの広さで、東側は急峻な断崖になっているが、西側は帯曲輪を1段設けている。
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本丸跡に建つ城址碑
本丸上には、立派な城跡碑が建っている。また、縄張略図付きの説明板も設置されている。
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本丸北側の段曲輪(三の丸方面へ向かう)
本丸の北側は段曲輪が設けられ、5段ほど下がり、また3段上ると三の丸へ出る。
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三の丸
本丸の北側に位置する三の丸の広さは28m×30mほどで、北側縁部には低いながら土塁(写真右奥)が築かれている。当城跡で唯一確認されている土塁だそうだ。
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三の丸北端部の土塁
三の丸の北端部にはカーブを描くように低い土塁が設けられている。
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三の丸北側の堀切
三の丸の北側は急崖になっているが、さらに尾根筋を堀切で断ち切られている。あまりの急崖で降りて行くのは諦めた(/。ヽ)。
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侍屋敷跡
二の丸から東に下ったところには侍屋敷があるが、ここまで降りてくる道は分かり辛い。尚、ここを水の手としているものもある。 
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井戸跡?
侍屋敷跡(水の手?)には井戸跡らしきものが・・・。
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石積み跡 
侍屋敷(水の手)の周辺部には所々に石積み跡が散見される。帰宅してから調べたら、侍屋敷跡周辺部には、もっと良好に残る石積みが随分多く確認できるようだったが、さらっと見て廻ってしまって後悔している(;>_<;)。
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