摂津 花隈城(神戸市)

本丸跡の小山が取り崩されて建てられた総石垣造り?の駐車場

中国攻めに備え信長が荒木村重に築かせた城、村重謀反で池田恒興らにより落城

別名

花熊城、鼻熊城

所在地

兵庫県神戸市中央区花隈(花隈公園)
【アクセス】
JR東海道本線「元町駅」・神戸高速鉄道「元町駅」から西へ約400mの有料駐車場

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 市街地(花隈公園他)
【遺構等】 模擬石垣、模擬天守台、石碑、説明板

満足度

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訪城日

2012/01/07

歴史等

花隈城は、永禄10年(1567)、織田信長が中国地方への勢力を伸ばす手段として、摂津の有力武将荒木村重に命じて築かせた城とされるが、天正2年(1572)、或いは天正4年(1574)に信長が毛利氏と手を結んだ石山本願寺に対抗し、兵庫津と毛利氏への防衛拠点として築いたという説もある。
天正6年(1580)、伊丹有岡城主荒木村重も反旗を翻した時、村重の城であった花隈城は、一族の荒木志摩守が守っていた。
天正7年(1579)9月、村重は伊丹有岡城を脱出して尼崎城に入り、11月には伊丹有岡城が落城したが、花隈城は頑強に抵抗した。
しかし、天正8年(1580)8月2日、池田恒興・輝政父子らに攻められ、遂に落城した。
この地を与えられたは恒興、花隈城を廃して、兵庫城を築いた。
『「現地説明板」、「ひょうごの城(神戸新聞総合出版センター刊)」より』

現況・登城記・感想等

花隈城の地は、東は生田川、西は宇治川が流れ、北は六甲山系、南には目の前を山陽道(西国街道・現在の元町商店街)が通り、大阪湾も見渡せるという要害の地にあったという。
城は、東西約350m、南北約200mあり、本丸・二の丸・三の丸からなり、周囲に堀をめぐらせ、石工も近江から呼び、周辺から大量の石を集めて石垣が築かれた本格的な平山城であったという。
今では、大都会神戸のど真ん中でもあり、遺構が残っているはずもなく、昭和44年に本丸跡であった小山が取り崩されて駐車場になっている。
駐車場は、石垣(勿論、偽物)で固められ、屋上が花隈公園として整備され、模擬天守台まで造られている。
(2012/01/07訪れて)

ギャラリー

駐車場から屋上の花隈公園への坂道
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花隈公園
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模擬天守台
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石碑
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