山城 鹿背山城(木津川市)

曲輪Ⅱと曲輪Ⅲを断ち切る堀切、中央奥に見えるのは竪土塁

大和を支配していた松永久秀が北の守りとして築いた南山城最大の山城

読み方

かせやまじょう

所在地

京都府木津川市鹿背山字鹿曲田(西念寺背後の山)
【アクセス】
JR「木津駅」の約300mほど北を通る府道47号線を北西へ1km程進み、「鹿背山」バス停付近の信号を右折します(右折すると左前方に地図板が立っています)。そこを道なりに600m程進むと左奥に「西念寺」があります。寺の山門の前を通って登ります。寺には駐車場がない(寺の前に狭い余白はあります)ので、寺へ登る坂道の手前付近の余白に駐車しました。
西念寺:木津川市鹿背山鹿曲田65

所要時間

西念寺下の登り口から主郭まで約10分、今回の総所要時間は約1時間

現状

山城(標高135m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、土塁、土橋、虎口、堀切、横堀、竪掘(二重竪堀と畝状竪堀も)、井戸、石碑&木碑、遺構案内板、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2015/06/07

歴史等

鹿背山城は、文治4年(1188)頃に木津英清が築城したと推察される。
その後、15世紀には南都興福寺の北方防御の拠点としてし、古市氏以下興福寺傘下の武将がしばしば入城した。
応仁・文明年間(1467~1487)の争乱期には、東西両軍による木津荘の争奪戦が行われ、文明2年(1470)には畠山義就に攻められ落城している。
永禄8年(1565)から、織田信長が入洛する同11年(1568)までの4年間、大和を支配していた松永久秀が大和の北の守りとして、多聞山城信貴山城・龍王山城とともに本城を拠点として重視し、改修を加えた。
『現地説明板、日本城郭大系11参照』

現況・登城記・感想等

鹿背山城は、さすが松永久秀が改修した山城だけあって、城域も東西約400m、南北300mあり、南山城地方最大の山城であり、見どころ満載です。
縄張りは、北西から南東に連なる尾根の三つのピークにそれぞれ曲輪を置き、そこから南西に向かって伸びる支尾根それぞれに曲輪群や堀切を配しています。
曲輪、土塁、竪堀、堀切、土橋等々の遺構が良好に残り、中でも大規模な竪堀群や堀切は見応え満点です。
ただ、今回は、事前準備なく登城したため、畝状竪堀群など見落とした箇所も多いのが残念(;>_<;)。
尚、帰って来てから説明板の縄張図を見て気が付いたのですが、当城跡の散策コースには大手道を外れた「サブコース(点線で示されています)」というのがありますが、そちらの方が畝状竪堀等などの遺構が見て廻れ、楽しそうです。今冬には、再登城したいものです。
(2015/06/07登城して)

ギャラリー

鹿背山城縄張図(現地説明板より) ~画面をクリックにて拡大~
縄張りは、北西から南東に連なる尾根の三つのピークにそれぞれ曲輪を置き、そこから南西に向かって伸びる支尾根それぞれに曲輪群や堀切を配しています。
鹿背山城縄張図

【登城記】
登城口
西念寺の背後の山が鹿背山城跡です。鹿背山の集落から西念寺へ登る細い坂道の入口に鹿背山城址と西念寺への案内板と石碑が立っています。 
01登城口

西念寺
坂道を50mほど登って行くと、西念寺の山門前に出ます。山門の脇に鹿背山城の縄張り図付きの説明板が立っています。写真右奥の石段から登城道になります。
03西念寺

登城道
左手に沢を見ながら大手道を登って行きますが、途中、左へ曲がる「サブコース」というのがあります。説明板の縄張案内図の点線のコースです。私は、初めての登城なので、まずは大手道を登って行くことにしました。
05登城道

竪堀と土橋?
大手道脇の沢は、途中から土橋のような堰で塁段になり、水が溜まっている箇所もありますが、往時のものかどうかは分かりません。最上段の最も多くの水が溜まり、池になっている向こうには大きな竪堀が設けられています。
07池と竪堀

竪堀
竪堀は高さ30m近くあるのではないでしょうか、見応え充分です。凄い急崖に造られています。元々、こんな急崖登れるわけがなく、わざわざ竪堀を掘る必要がないような気もしますが(笑)。
09竪堀

分岐点
西念寺前から、大手道を7~8分ほど登って来ると「曲輪Ⅰ-3、4」と「大手道」の分岐点へ出ます。「曲輪Ⅰ-3、4」へ向かうと畝状空堀群へ出るようです。私は、何はともあれ、まずは大手道を選択。
11分岐点

大手虎口
大手道を登って行くと、すぐに深い堀底道が現れます。ここが当城の大手虎口のようで、左へ向かうと主郭、右へ向かうと曲輪Ⅱ、曲輪Ⅲです。
13虎口

主郭と曲輪Ⅱを区分する堀切
まずは曲輪Ⅱと曲輪Ⅲ方面へ向かって行くと堀切が現れます。左側の切り立った切岸の上は主郭ですが、往時はそこに多聞櫓が建っていたそうです。
15堀切

竪堀
主郭と曲輪Ⅱを区分する堀切は、竪堀となって落ちて行ってます。
17竪堀

曲輪Ⅱ
曲輪Ⅱは、段差のある10ほどの曲輪群からなります。
19曲輪Ⅱ

曲輪Ⅱと曲輪Ⅲを区分する堀切
曲輪Ⅱを見てから」曲輪Ⅲに向かうと大きな堀切が現れます。
20堀切

二重竪堀と竪土塁
曲輪Ⅱと曲輪Ⅲを区分する堀切は竪堀となって落ちて行ってますが、堀の中央部には竪土塁が設けられ、二重竪堀になっています。
21二重竪堀

曲輪Ⅱと曲輪Ⅲを断ち切る堀切
上の2枚の写真と同じ堀切です。曲輪Ⅲとの比高差は7mはあるでしょう。中央奥に見えるのは竪土塁です。
22堀切

曲輪Ⅲ
曲輪Ⅲの上には、木製の城址碑が立てかけられています。
25曲輪Ⅲ

主郭下の段曲輪
曲輪Ⅲを見たあと、大手虎口に戻り、主郭へ向かうと、左手に腰曲輪が見えます。腰曲輪は塁段状に設けられています。
27主郭腰曲輪

竪堀
上写真の主郭下の段曲輪の北側には大規模な竪堀があります。
28竪堀

主郭虎口
主郭虎口は、枡形になっているのですが、かなり埋まってしまい分かる辛いです。

29主郭虎口

主郭
主郭には、木製の城址碑が立っています。
31主郭

主郭虎口脇の土塁
主郭虎口の両側には、高さ1m弱ほどですが、土塁が残っています。
33主郭土塁

主郭北西部の土塁
主郭の北西部には分厚い土塁がありますが、櫓台でしょうか?
34櫓台か

主郭南東部の櫓台
主郭の南東部に、高さ2m弱の土塁が残っていますが、往時は、ここには多聞櫓が建っていたそうな。
35櫓台

主郭北西面の二重竪堀
主郭を見たあと、主郭北下の腰曲輪へ降り、さらに西の方へ廻って行くと、またまた二重竪堀が見えて来ます。説明板の縄張図では一筋の竪堀と竪土塁だけになっていますが、土塁の両側は明らかに竪堀になっています。
37二重竪堀

主郭北西面の竪土塁と二重竪堀
上写真の二重竪堀を、真上から見下ろしたものです。中央部に竪土塁、両側に竪堀です。
39竪土塁

土橋と出丸の土塁
さらに西へ廻って行くと、前方に土橋が見えて来ます。右の土塁は、主郭北西の出丸のような曲輪の土塁です。
41土橋

土橋
土橋の両側は深い竪堀です。土橋は、かなり急傾斜の坂道になっています。
43土橋

出丸土塁
土塁は、かなり分厚いです。説明板ではサブコースが、写真左奥にありますが、藪がひどくてちょっと無理。やっぱり、山城は冬ですね。今回は、これにて下山しました。
46土塁

トップページへ このページの先頭へ

コメント

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント