天守曲輪石垣
宇陀三将・秋山氏が築城、その後豊臣系大名により大修築
別名
秋山城
所在地
奈良県宇陀市大宇陀区春日
【アクセス】
慶恩寺の西側を通る伊勢本街道を慶恩寺のところから約300mほど南下すると左側に中京銀行があります。その手前の路地を左(東)へ30mほど東進すると登城口の春日門へ出ます。慶恩寺か道の駅「宇陀路大宇陀」の駐車場を借りるといいでしょう。
慶恩寺:宇陀市大宇陀春日262、電話0745-83-0122
形状
山城(標高470m)
現状・遺構等
【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、天守台、土塁、石垣、虎口、堀、城門、抜け穴?、石碑、説明板
満足度
★★★★★
訪城日
2008/02/04
2016/02/03
歴史等
宇陀市大宇陀区は、飛鳥時代から「阿騎野」と呼ばれる宮廷の狩場であった。
宇陀松山城は、旧名秋山城と呼び、戦国時代に「宇陀三将」と称された秋山氏が城を築き本拠地とし集落を形成した。
天正13年(1585)に秋山氏が追放された後、豊臣家配下の大名によって城の大改修と城下町の拡大整備が行われ、町名も阿貴町から松山町と変った。
慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後、福島正則の弟福島高晴(孝治)が城主となり、大改修が加えられ、現存する城郭構造となった。
元和元年(1615)、孝治の改易にともない松山城は破却され、織田信長の次男信雄が宇陀を所領し、宇陀松山藩として藩政がはじまる。織田氏は、山麓に「御上屋敷」や「長山屋敷」を設けた。
しかし、元禄7年(1694)家臣団の内紛に端を発して、4代目藩主信武が家臣2人を殺害のうえ自殺した為、翌8年(1695)領地を没収され、藩主となっていた信休は減封の上、丹波柏原へ転封となり、以後天領となった。
『「宇陀市教育委員会等によるパンフレット(道の駅宇陀路大宇陀にて入手)」、「西口関門説明板」、「柏原歴史民俗資料館展示資料」参照』
現況・登城記・感想等
宇陀松山城へは8年ぶりの登城です。前回(2008年2月4日)は、前日の大雪の為、深い雪の中を四苦八苦しながら本丸までは登ったものの、周辺の曲輪や虎口をはじめとする遺構が真っ白で全体像がわからないままの下城となってしまいました。
今回は、絶好の天気です。
宇陀松山城は、山頂部の本丸・天守曲輪を中心に、大御殿、二の丸、御加番、御定番と呼ばれる曲輪群が設けられています。
豊臣氏滅亡後、徹底的に破壊されたとはいえ、豊臣秀長の大和入国から福島高晴(福島正則の弟)の時代までの間に中世城郭から近世城郭へと大改修された織豊系の城だけに、石垣、枡形虎口、空堀等々いずれも見応え満点です。
しかも、本丸周辺主郭部は木々が取り払われ整備されているので、それらの遺構が分かりやすいだけでなく、眺望も素晴らしいです。
(2016/02/03登城して)
ギャラリー
宇陀松山城鳥瞰図(余湖くんのお城のページより)
宇陀松山城は、山頂部の本丸・天守曲輪を中心に、大御殿、二の丸、御加番、御定番と呼ばれる曲輪群が設けられています。
【登城記】
宇陀松山城への登城は、丁度8年前の明日(2月3日)以来です。前回は、前夜からの大雪のため積雪の中を四苦八苦して登ったものの、本丸周辺の曲輪や虎口をはじめとする遺構が真っ白で全体像がわからないままの下城となってしまいましが、今回は絶好の城めぐり日和となりました。雪景色の城の悪くはありませんが、やっぱり好天気の中での城めぐりはいいですね。
春日門跡
春日門は、松山城下町の出入口にあたる西口関門から続く大手筋に位置します。門跡には虎口を構成する東西2つの櫓台(写真手前と奥)が残っています。築造は16C末から17C初頭で、町人地と武家屋敷・城館とを分ける虎口として造られました。
春日神社参道
春日門から入り、春日神社の参道を進みます。
抜け穴?
かすは神社の手水舎の左奥に石垣に穴がありますが、宇陀松山城天守からの抜け穴があり、その出口がこの穴と伝えられているそうです。勿論、今は途中で埋っているそうです。
登城口
春日神社への石段右手前に宇陀松山城への登城口があります。前回、登城した時にはありませんでしたが、「宇陀松山城跡」と書かれた幟が並んでいました。これも町興しの一環でしょう。
杉木立の登城道
春日神社の脇道を進んで行くと杉木立の登城道へと出ます。間伐や枝打ちがされた綺麗な杉山です。
前回の登城(2008/02/03)には雪の中の登城で大変でしたが、今回は緑の中の登城です。
空堀?
登り始めて10ほどすると、ブルーシートに覆われていますが、右手に幾筋も空堀のようなのが・・・。発掘調査中の空堀跡のようです。
櫓台と喰い違い虎口?
一方、正面前方には櫓台らしき土塁が見えます。喰い違い虎口になっています。
堀底道
喰い違い虎口を入って行くと、そこからは堀底道になり、正面に主郭部の城壁などが見えて来ます。
大堀切
堀底道を抜けると正面には雀門跡、左手には大堀切が現れます。この大堀切は御加番(右上)の西側を断ち切る堀切ですが、堀底と御加番との高低差は10m近くあり、実に見応えがあります。
尤も、前回(2008/02/03)の登城時の雪の大堀切の光景も悪くはなかったですがネ。
雀門跡
雀門跡は、石段や石垣が良好に残っています。ここからは石段、枡形虎口、石垣のオンパレードです。前回(2008/02/03)の登城時は雪に覆われた雀門でしたが、今回は石垣、石段がよく見えます。
大手枡形虎口
雀門から連続枡形になっており見応え充分です。石段の多くが土嚢で復元されているのは、徹底的な破城のでいでしょうか。尚、前回の登城時(2008/02/03)の雪に埋もれた枡形も悪くはなかったですがネ。
大手枡形を通り抜けてから振り返って撮ったものです。何とも見事でかっこいいです。前回(2008/02/03)の登城時には、あまりにも雪がすごくてよく分かりませんでした。
本丸南下の腰曲輪
枡形虎口の石段を登りきると本丸南下の腰曲輪へと出ます。ここからは周りの景色が一挙に開けてきます。前回(2008/02/03)の登城時は、この辺りからは大変な雪でした。
本丸南下腰曲輪から南方を
腰曲輪からは南方が開け見事な山並みの景色がひろがります。前回(2008/02/03)の登城時に撮った南西の大宇陀の町の方を撮りたかったのですが、強烈な逆光で撮れませんでした。
本丸への枡形虎口(本丸南虎口)
腰曲輪から本丸(天守曲輪の南西下)へ登る虎口があります。この石段も前回の登城時は雪に埋もれていました。
腰曲輪から本丸への南虎口も連続枡形になっています。右手前が外枡形、左上の石段を登ると内枡形。
本丸西虎口
本丸への虎口は、南虎口のほかに、西側の御加番の南側から登る西虎口もありますが、こちらはなだらかな坂道になっています。
本丸
本丸はやや東西に長く、東部分に一段高くなった天守曲輪(写真奥)を設けています。
本丸から北東方面の眺望を
当写真は北東方面で、右下に突き出ているのは御加番です。前回(2008/02/03)の登城時の雪景色も素晴らしかったですが、晴れた日の眺望も素晴らしいです。尚、南から西にかけての眺望も素晴らしいのですが、強烈な逆光のためまともな写真が撮れませんでした。
本丸と天守曲輪
天守曲輪は周囲を石垣で固めています。前回登城時の雪の本丸と天守曲輪の光景も悪くはありませんでした。
天守曲輪
天守曲輪へは西面北側に石段、南側に坂道が設けられています。天守曲輪に関しては前回登城時の方がメリハリがあって分かりやすいかも?
天守曲輪上
天守曲輪には石碑が3基も立っていましたが、いずれも城とはあまり関係ないもののようでした。
天守曲輪から二の丸(南東下)方面を
天守曲輪の二の丸があり、そこから大御殿へ入る大門跡が見えます。天守曲輪周囲をめぐる横堀も見えます。
前回(2008/02/03)の登城の際には、すっかり雪に覆われて、よく分からない状態でしたが、今回は全てがよく見えるし、下りて行くこともできます(*^_^*)。
天守曲輪から北東下を
大御殿へ向かう
本丸と天守曲輪を見た後は、本丸南虎口から本丸東側の大御殿へ向かいます。ここからは、今回が初めてです。
天守曲輪の切岸と空堀
大御殿から見上げる天守曲輪ですが、こうして見上げると圧倒されるような迫力があります。天守曲輪上部周囲には石垣が残り、下の方には石が崩れ落ちてます。天守曲輪周囲には空堀が設けられています。
天守曲輪周囲の空堀
天守曲輪の切岸や空堀の淵に多くの石が確認されますが、破城される前は相当多くの石垣が築かれていたのでしょう。
大門跡
大御殿と二の丸を仕切る大門です。写真奥の森が二の丸跡です。尚、写真右にも土壇がありましたが、これは発掘調査で出た石を積み上げたもののようです。
大御殿と二の丸間の堀切
大御殿と二の丸は堀切で断ち切られています。
堀切を固める石垣
堀切の南西はほぼ直角に折れ曲がり、下の方へ通ずる道となっています。また、堀切は石垣で固められています。
二の丸から大御殿への石段(大門跡)
堀切の底から大御殿への虎口(大門)には石段が設けられています。
御加番へ向かう
大御殿の東側の切岸に沿った細い道を通って御加番へ向かいます。大御殿の東下は空堀或いは帯曲輪のようになっており、そこに土橋が設けられています。
大御殿切岸の石垣
大御殿の切岸には、石垣が残っています。
御加番下の空堀
御加番の周囲は急崖(切岸)になっており、そこにも空堀が設けられています。
御加番から天守曲輪を見上げる
御加番から天守曲輪を見上げると、随分高い所にあるのを実感します。比高差20m近くあるような。
西口関門
福島高晴(孝治)が松山城を居城とした江戸時代初期に建築されました。唯一の建造物遺構で、壁以外は全て黒く塗られていることから「黒門」とも呼ばれています。