備前 砥石城(瀬戸内市)

本丸南西部の石垣

宇喜多直家の祖父能家が居城も島村氏の夜討ちで落城、直家生誕の地

所在地

岡山県瀬戸内市(邑久町)邑久町豊原
【アクセス】
県道226号で千町川を南へ渡ると「砥石城跡入口」の案内板と説明板があり、ここからも登れますが、駐車スペースが見付からなかったので、この突き当りを左折し500m程南下した右手「砥石城跡登山道」から登りました。登城口の側に車1台だけ何とか停めることができるスペースがあります。

所要時間

登城口から本丸跡まで約10分。今回の見学総時間は45分強。

形状

山城(標高100m、比高95m)

現状・遺構等

【現状】 山林
【遺構等】 曲輪、石垣、土塁、堀切、説明板、宇喜多直家生誕の地の石碑

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2011/11/13

歴史等

砥石城の築城期や経緯は定かではないが、江戸時代の記録「備前軍記」には大永年間(1521~1528)、浦上村宗の家臣宇喜多能家が築城したと書かれている。
能家は、備前守護代浦上宗助に仕え、明応6年(1497)の浦上氏と松田氏の合戦で戦功を挙げ、以後、戦国大名になった村宗(宗助の子)、のち二男宗景に仕え浦上氏の重臣となり有力国人に成長したが、大永3年(1523)居城の砥石城に帰り隠居生活を送った。
天文3年(1534)6月、高取山城主島村観阿弥(豊後守)の夜討ちによって城主能家は自害し、砥石城は落城した。能家の子興家と孫の直家は落ち延びた。主君浦上宗景は、この城を島村氏には与えず、浮田大和守に与えた。
浦上宗景に仕え、乙子城主となっていた能家の孫宇喜多直家は、天文16年(1547)、主君宗景の軍勢と合して、備中三村氏に内通した砥石城主浮田大和守を攻め落とした。浮田大和守の後は、高取山城主島村観阿弥の持城となり、城番が置かれた。
永禄2年(1559)、直家は、主君宗景の命により島村観阿弥を謀殺して砥石城を攻略し、宗景から島村観阿弥の本拠地と砥石城を与えられると、城主に弟春家を任じた。
その後、直家は主君浦上氏を倒し、戦国大名として岡山城主となると、春家を直家の居城であった亀山城(沼城)に移し、部将に砥石城を守らせた。
直家の備前国平定後は、砥石城の存在意義も薄くなり、自然と廃城になったものと思われる。
『「現地説明板」、「日本城郭大系13」より』

現況・登城記・感想等

砥石城は、谷を挟んだ2つの尾根上に連郭式縄張りで築かれた本城と出城から成る一城別郭の城のようです。
本城へは「宇喜多直家生誕の地」の石碑が立っている砥石山(砥石城跡)の南側の登山口から登り、10分ほどで本丸に到着しました。
本丸は綺麗に整備され、宇喜多氏の家紋である「剣酢漿草紋」と「児文字紋」が染め抜かれた幟が風にたなびいていました。
本丸からの眺望は素晴らしく、360度のパノラマが楽しめます。
本丸の両側には、石垣が築かれていますが、それ以外の遺構は藪に覆われていて確認できず、出曲輪などはかなり改変されているようで全く分かりませんでした。 
今回は、時間に余裕がなく、出城へは行けませんでしたが、そちらには堀切などが残っているようです。 
(2011/11/13登城して)


(宇喜多直家について)
喜多直家は、宇喜多秀家の父親です。秀家は、人の好いお坊ちゃんというイメージがありますが、直家はというと、小瀬甫庵の著『太閤記』で、斎藤道三や松永久秀に並ぶ三悪人としており、また、尼子経久・毛利元就と共に中国地方の三大謀将ともされているようで興味深い人物です。今回の備前の城めぐりも、そんな直家に絡む城を中心に廻りたいと思っていたのです。

ギャラリー

砥石城縄張り(現地説明板より)
砥石城は、千町平野に向かって北に延びる標高約100mの砥石山尾根上に築かれた山城で、城郭の構造がはっきりしている。 縄張りは、5連郭の本城(半島状に延びた尾根頂部の稜線に沿う長方形の本丸・本丸の先端にある3段の曲輪・本丸の後方にある1段の出曲輪)と堀切を構えた4郭の出城(本城から隔てた西隣の峰の中心にある出丸・出丸の先端にある3段の小郭)で構成されている。
(現地本丸跡説明板より)
砥石城縄張り

登城口前に立つ「宇喜多直家生誕之地」の石碑
砥石山の南側の登山口の前に「宇喜多直家生誕之地」の石碑が立っています。
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登城口
登城口にしめ縄が張られているのも珍しいような? ここから、よく整備された道を登って行きます。
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尾根上に
登城口から登り始めて6~7分ほどで尾根の上に到着。案内板に従って、右方向の本丸跡へ向かいます。
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山頂(本丸)が見えてくる
ほぼ平坦な尾根道をしばらく進むと、正面に山頂が見えてきます。
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本丸への石段
本丸跡へ登る最後の方は石段が設置されています。
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本丸
登城口から10分ほどで本丸跡に到着。本丸は綺麗に整備され、宇喜多氏の家紋である「剣酢漿草紋」と「児文字紋」が染め抜かれた幟が風にたなびいていました
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本丸と本丸からの眺望
本丸は、眺望も素晴らしく、360度のパノラマが楽しめます。本丸の南西部は、以前、神社社殿でも建っていたのでしょうか礎石が残っています。
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本丸から南西部の石垣を
本丸周囲は急崖になっています。南西端に立つと、石垣が見えます。
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本丸南西部石垣
本丸周囲は急崖になっており降りて行って石垣の写真を撮れそうなところが見付かりませんでしたが、一緒に登城した川島氏が何とか少しだけ降りて行けそうなところを見付けてくれたので、この写真とTOP写真を何とか・・(汗)。積み方は、左(北側)の方が打ち込みハギなのに対して、右(手前)は野面積みです。尚、この写真を撮ったあと、脱皮した蛇の皮が石垣にへばりついているのを発見しましたw(*゚o゚*)w
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本丸南西部北側部分の打込みハギの石垣
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本丸東側の石垣
石垣は、東側にも見事に残っています。こちらは、それほど高くは積み上げられてはいませんが、長く延びています。こちらも打ち込みハギです。
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もう一つの(北側からの)登城口
こちらが、大手道のようですが、駐車できそうなところが見つけられませんでした。
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