備中 新見陣屋(新見市)

藩校「思誠館」に招かれた丸川松隠が改修した風木谷の石畳と石垣

津山藩改易後、支藩宮川藩関氏が転封となり築いた陣屋

所在地

岡山県新見市新見
【アクセス】
新見北高校と思誠小学校の敷地一帯が陣屋跡
新見北高校:新見市新見1994、電話0867―72-0645
思誠小学校:新見市新見1970−1、0867-72-0041

形状

陣屋

現状・遺構等

【現状】 新見北高校、思誠小学校
【遺構等】 石垣、石碑

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2013/11/24

歴史等

元禄10年(1697)、津山城主森衆利が改易となった際、美作宮川18,700石を分与されていた関長治は、備中新見へ転封となり、18,000石を与えられ諏訪山に新見陣屋を築いた。以後、関氏は9代続いて明治に至った。
尚、3代政富の時に藩財政が逼迫したが、政富は英断をもって藩政改革を行ない、財政を立て直した。また、文教政策にも力を注ぎ、宝暦3年(1753)に藩校思誠館を創設した。
5代長誠の時の寛政6年(1794)には丸川松隠を思誠館に招いた。松隠は、多くの人材を育てたが、後に備中松山藩の藩政改革を成し遂げた山田方谷も、その幼い時に新見に来て松陰に教えを受けたという。また、松隠は、藩校脇を流れる「風木谷」の石畳や石垣を改修した。谷は、当時の姿をとどめている。
『藩と城下町の事典(東京堂出版刊)参照』

現況・登城記・感想等

思誠小学校・新見北高校一帯が新見陣屋跡地で、小学校と高校の間の石段と石垣が当時の名残りをとどめている。
また、小学校南東隅に丸川松陰が改修したという風木谷川の石垣と石畳が残っている
(2013/11/24訪れて)

ギャラリー

思誠小学校と新見北高校の間に残る石段と石垣
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風木谷の川底の石畳
風木谷はたびたび洪水による被害が続いていました。これを予防するため丸川松隠の献策で川底に石畳を敷きました。
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城郭風の思誠小学校体育館とその前に立つ思誠館跡の碑
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