安芸 亀居城(大竹市)

亀井城本丸石垣全景

関ヶ原合戦後、西方毛利氏への備えとして築かれた福島正則の甥正之の城

別名

小方城

所在地

広島県大竹市小方2丁目 亀居公園
【アクセス】
山陽自動車道「大竹インター」のすぐ南。国道2号「大竹インター入口」信号を100mほど南進し、次の「黒川1丁目」信号を右折(この付近から道路に亀居公園の案内有)し西進する。JRを越え、更に80m程北上した「黒川2丁目」信号を左折し南進する。インターのランプをくぐって500m程行き、山陽道をくぐる手前で左折(案内有)します。そこから道なりに登っていくと広い駐車場がある。ここから少しだけ登って行く。

駐車場からの所要時間

三の丸と有の丸間まで2~3分

形状

平山城

現状・遺構等

【現状】 亀居公園
【遺構等】 曲輪、石垣、天守台、堀切、井戸、説明板

満足度

★★★★

訪城日

2012/11/08

歴史等

慶長5年(1600)、関ヶ原合戦に敗れた西軍の盟主毛利輝元は領国8ヶ国のうち防長2ヶ国を与えられ、その本城広島城を去り、東軍に味方した豊臣恩顧の武将福島正則が芸備2ヶ国を与えられて、そのあとに入った。
広島に入った正則は直ちに領国の経営に乗り出す一方、小方・三次・東城・三原・神辺・に支城を置いて守りを固めた。このとき小方の城将には甥の福島正之(1万石)を配備して、慶長8年(1603)から築城をはじめた。築城に際しては、水野次郎右衛門が総奉行、片尻飛騨が大工棟梁として指揮にあたった。
5年の歳月を経た慶長13年(1608)にこの城は完成したが、城将福島正之は完成の前年他界したので、これに代わって守将山田小右衛門、森佐助の両名が兵を率いて入城した。
なお、この城が亀居城と称されたのは城地が亀の伏した形に似ていたことに由来します。
かくして亀居城は本城広島城の支城として、毛利氏に対する軍事的見地から脚光を浴びたが、この頃、正則に対する幕府の圧力は非常にきびしく、幕府への遠慮から、完成間もない慶長16年(1611)ないしは14年に、この城は取り壊され、廃城になった
『「現地説明板」、「歴史読本・織田豊臣の城を歩く、2008年5月号(新人物往来社刊)」より』

現況・登城記・感想等

亀井城は、広島藩の僅か1万石の支城であるにも関わらず、面積10町歩(992a)、周囲18町(1960m)におよぶ大規模な城郭である。
その縄張りは、山頂に本丸、これに二の丸・三の丸・有の丸・なしの丸・松の丸・名古屋丸・捨の丸の8つの曲輪が続き、本丸と有の丸の横に詰の丸、その下に鐘の丸・妙現丸があって、合計11もの曲輪からなる。
山頂の天守台とそれを囲む本丸(天守曲輪と称したほうが正確かも)周辺は総石垣構造になっている。
現在、鐘の丸は市街地化しているが、本丸・二の丸・三の丸などをはじめとする主要部は亀居公園となり、市民の憩いの場となっている。公園化に伴い多くの石垣が修復・復元、或いは新たに築かれたようで、現在では、本丸のみならず、主要部は総石垣構造になっており、往時の様子は掴みづらい。
また、本丸石垣は、基底部に残る元々の石垣が打込みハギであるのに対し、上部の復元した石垣が、真新しいだけでなく、布積みの切込みハギなのが、妙に違和感がある。
それでも、あちこちに、往時の石垣が残り、なかなか見応えのある城だ。
(2012/11/08登城して)

ギャラリー

亀居城縄張図(現地案内板より)
亀居城は、山頂に本丸、これに二の丸・三の丸・有の丸・なしの丸・松の丸・名古屋丸・捨の丸の8台が続き、本丸と有の丸の横に詰の丸、その下に鐘の丸・妙見丸があって、合計11台よりなるとなっています。しかし、この案内板には「なしの丸」が抜けています。他の本などの縄張図と照らし合わせてみると、「三の丸の下(図の右下)」が「有の丸」で、「有の丸」となっているのが「なしの丸」ではないでしょうか。しかし、当案内板を全否定して廻るのも何だから、この案内板に従って廻ることにします。従って、三の丸の右下も三の丸に含めて紹介することにします。
亀居城縄張図

三の丸北側の石垣
山腹にある駐車場から2~3分ほど登って行くと、早速、右上に打込みハギの石垣が見えてきます。亀居城は本丸周辺は総石垣構造ですが、二の丸・三の丸・有の丸などは、虎口や要所のみに石垣が用いられていると聞いているので、果たしてこの石垣が往時のものか、或いは復元されたものかどうか分かりませんが、この辺りの石垣は、かなりリアルで往時の石垣のようにも見えますが、果たして・・・?
IMG_4548

三の丸南側の石垣
三の丸南下には、公園案内図があり、大まかな城の縄張り図が載っています。三の丸周囲は見事な石垣で固められていますが、上写真と同様、果たして・・・?
IMG_4552

亀居城の石垣刻印について
三の丸へ登って行く途中に、「石垣刻印」についての説明板が。
IMG_4554

三の丸から二の丸への石段
この辺りも、ちょっと立派すぎるような・・・?
IMG_4557

二の丸から三の丸を見下ろす
IMG_4559

二の丸
二の丸まで登ると、本丸の石垣が見えてきます。随分立派な石垣で、とても1万石の城とは思えないものです。
IMG_4561

本丸石垣
公園化に伴い本丸石垣が修復されたようですが、基底部に残る元々の石垣が打込みハギであるのに対し、上部の復元石垣は布積みの切込みハギですが、こちらから見る石垣はそれほど違和感はありません。
IMG_4563

本丸虎口
まず、何はともあれ本丸へ・・・。
IMG_4566

本丸上から虎口を見下ろす
IMG_4577

本丸上から二の丸を見下ろす
IMG_4582

本丸から天守台を
IMG_4571

天守台への石段は侵入禁止(;>_<;)
天守台への石段は鉄柵で囲まれ侵入できません。天守台周囲に柵がないからですかねえ?そんなの、自己責任だと思うのですがねえ。伊賀上野城など、ものすごい高石垣の上に柵などなかったけど、その上に立つこともできましたがねえ。
IMG_4576

本丸から見下ろす朝日と大竹市街地
本丸に着いたのは7時過ぎで、海から昇る朝日がきれいでした。
IMG_4569

本丸南面石垣
本丸南面の石垣は打込みハギで築かれています。
IMG_4579

本丸北面石垣
本丸北面の石垣は、基底部の元々の石垣が打込みハギであるのに対して、上部の復元部分は真新しい上に、布積みの切込みハギで、違和感が・・・。何故、こんな修復の仕方をしたのか理解しかねます。
IMG_4581

二の丸南虎口
二の丸から下りて詰の丸へ向かいます。枡形虎口石垣は、やはりかっこいいですね。
IMG_4583

二の丸南虎口を下から
IMG_4584

詰の丸
IMG_4585

本丸石垣全景(詰の丸から撮影)
この本丸石垣と、その上に見える天守台石垣は、とても一支城のものとは思えないほど立派なものです。
IMG_4588

本丸南下に残る石垣
本丸の南にある林の方へ向かったら、本丸のこんな下の方にも石垣が残っていました。やはり、亀井城は総石垣の城郭だったのでしょうか?
IMG_4593

有の丸
有の丸は、削平が少し甘いようだが、公園化した際に改変されたのかも? 正面奥は三の丸。
IMG_4595

有の丸の石垣
有の丸の下にも、往時の石垣の一部が確認できる。これは、さすがに本物でしょう。
IMG_4597

松の丸
正面奥は有の丸の土塁です。
IMG_4602

松の丸から名古屋丸を
IMG_4601

松の丸基底部にも石垣が
松の丸から名古屋丸に下りて、松の丸を見ると土塁基底部に石垣が確認されます。
IMG_4607

名古屋丸南面虎口
名古屋丸の南面には立派な石段の虎口があります。
IMG_4603

名古屋丸南面虎口と石垣
名古屋丸の南面虎口両側には立派な石垣がありましたが、さて・・・? 名古屋丸の東方下には、さらに捨の丸がありますが時間的なこともありここで引き返しました。いずれにしても、往時の亀居城はどうだったかは分かりませんが、少なくとも現在の亀居城は総石垣造りの城です。
IMG_4606

トップページへ このページの先頭へ

コメント

戦国山城大好き(2013/06/30)

行って来ました。(^_^)
インターの近くにこんな立派な城跡が在るなんて、
思いもよらなかった。
石垣も良好に残っていました。(^_^)
ただ蚊が多かった(--;)

タクジロー(2013/07/07)

亀井城は、広島藩の僅か1万石の支城とは思えないほど規模が大きくて見応えありますね。
ただ、天守上部の復元した石垣が、真新しいだけでなく、布積みの切込みハギなのが、妙に違和感があり、がっかりしました。

この記事へのコメント

名前

メールアドレス

URL

コメント