備後 尾関山城(三次市)

尾関山城跡本丸跡の天文台跡に建つ展望台

三吉氏重臣上里氏の居城、福島氏・浅野氏時代には広島城の支城に

別名

積山城、小丸積山城、三次城

所在地

広島県三次市三次町
【アクセス】
JR三江線「尾関山駅」の北東にある尾関山公園が城跡

所要時間

今回の見学時間は20分弱でした。

現状

平山城(標高202m、比高50m)

現状・遺構等

【現状】 尾関山公園
【遺構等】 曲輪、石積み、説明板

満足度

☆☆☆☆

訪城日

2013/12/02

歴史等

尾関山城は、もとは小丸積山城、或いは積山城といい、天正年間(1573~91)、比熊山城の出城として三吉氏の重臣・上里守光が居城した。
関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)、福島正則が安芸・備後両国を与えられて広島城に入ると、政則は三次地方の守りとして、重臣・尾関正勝に2万石を与えて城主とし、尾関山城と呼んだ。
福島正則の改易後の寛永9年(1632)、和歌山城から浅野長晟が広島城に入ると、長晟は支藩として三次藩5万石を設け、長男の長治を置いて県北の守りとした。
その後、三次藩は一度途絶えるが、のちに再び3万石の三次藩として置かれ、尾関山城の東方に館を構え、北側に下屋敷を置き、本丸跡に天文台(発蒙閣)が建てられた。
『「現地説明板」、「日本城郭大系13」参照』

現況・登城記・感想等

尾関山城は、独立丘陵山頂部の本丸を中心に円形同心に段曲輪を配置しています。
城跡は公園整備に伴い多少改変されているが、概ね旧状をとどめ段曲輪の様子がよく分かります。また、、所々に石積み跡も確認されます。
但し、城跡と知らなければ、紅葉の綺麗な公園としか思えないでしょうがネ。
(2013/12/02登城して)

ギャラリー

尾関山公園案内図(現地案内板より)
尾関山城は、独立丘陵山頂部の本丸を中心に円形同心に段曲輪を配置し、南下を流れる江ノ川を天然の水濠としていました。現在は、かつての各曲輪跡に名前が付けられています。ちなみに、石見台が本丸跡、因幡台が二の丸跡です。
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石碑
公園入口には立派な石碑が立っています。できれば、「尾関山公園」と刻まれた脇にでも「尾関山城跡」とでも入れてくれたら良いのにと思いますが・・・。
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尾関山公園の紅葉
早朝(8:45)の登城で、まだ靄がかかっていましたが、紅葉がきれいでした。三次地方は、この季節(12月2日)は、朝は霧がかかることが多いようです。
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段曲輪と石積み
尾関山城跡は、公園化に伴い多少改変されているが、概ね旧状をとどめ段曲輪の様子がよく分かります。また、、所々に石積み跡も確認されます。
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本丸跡を
本丸は山頂部にあり、天文台(発蒙閣)跡に展望台(写真右上)が建っています。
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