宇佐八幡宮の山麓の鳥居脇に立つ城址碑と説明板
香西氏18代佳清が長宗我部軍の侵略に備え佐料城から移り住んだ城
所在地
高松市香西本町465、宇佐八幡宮
【アクセス】
ナビで住所を指定すれば出て来ると思います。尚、宇佐八幡宮の山麓の鳥居の前に駐車場があります。
形状
平山城(比高約15m)
現状・遺構等
【現状】 宇佐八幡宮
【遺構等】 曲輪、標柱、説明板
満足度
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訪城日
2014/10/16
歴史等
香西氏の18代佳清は、長宗我部元親による讃岐侵略に備え、累代の居城佐料城が平地にあり防御機能が充分でないことを考慮して、天正3年(1575)、藤尾山に築城を計画した。そして、同5年(1577)には未完成のまま佐料城から移り住んだ。
同10年(1582)8月、香西軍は長宗我部軍を前に藤尾城周辺で最後の決戦を構えた。激戦5日間、いよいよ落城かとみられた時、香川信景の斡旋があり和議が成立し、香西氏は長宗我部元親の配下となった。
同年11月、長宗我部軍が来城して築城を支援し、ようやく藤尾城は完成したが、3年後の天正13年(1585)、豊臣秀吉の四国征伐によって落城し、廃城となった。
『日本城郭大系15ほか参照』
現況・登城記・感想等
宇佐八幡宮の境内が主郭だったようですが、面影はありません。
山麓の鳥居脇に説明板と城址碑(標柱)が立っています。
(2014/10/16訪れて)
ギャラリー
藤尾城全景
往時の面影はほとんどありませんが、藤尾城主郭跡に宇佐八幡宮が鎮座し、山麓の鳥居脇(写真左側)に城址碑と説明板が立っています。
主郭跡に鎮座する宇佐八幡宮