桂浜から浦戸城址方面を
月の名所「桂浜」にある長宗我部氏が最後に本拠とした城
所在地
高知県高知市浦戸
形状
平山城(標高59m)
現状・遺構等
現状:国民宿舎、坂本竜馬記念館、山林等 【県指定史跡】
遺構等:曲輪、天守台、土塁、空堀?、井戸跡、石碑、説明板
満足度
★★☆☆☆
訪城日
2007/05/03
歴史等
浦戸城は、朝倉城(高知市朝倉)を本城としていた本山氏が、16世紀の初め支城として築いたものである。
永録3年(1560)長宗我部国親が当城を攻めて奪い、居城・岡豊城の支城とした。国親のあとを継いだ元親は、天正16年(1588)居城を一旦大高坂城(後の高知城)に移した後、同19年(1591)頃、当城に移し、滅亡まで約10年間長宗我部氏の本城となった。
浦戸城は「詰の段」の東北隅に中世山城にはみられない「天守」跡があり、その特異性が目立つ。天守跡は「詰の段」より高く、上面は南北16m、東西10mの長方形で、標高59mである。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で豊臣方についた元親の子盛親は除封され、土佐は山内一豊に与えられた。長宗我部氏の遺臣らはこれを不服とし浦戸一揆をおこしたが、鎮定された。同6年(1601)、当城に入った一豊は、この地では手狭であり、同年9月から高知城の築城にとりかかり、同8年(1603)には新城に移り当城は廃城となった。
『現地説明板等参照』
現況・登城記・感想等
桂浜は観光客であふれていた。桂浜を軽く見てから、さあ浦戸城だ。
誰も浦戸城など興味がないのであろう、国民宿舎桂浜荘の駐車場前に一部残る天守台跡とその移築復元石垣や土塁には誰も見向きはしない。
天守台跡以外の遺構については、ほとんど期待していなかったのだが、土塁は想像していたより良好な形で残っていた。土塁の後ろは絶壁になっていたが、空堀跡?
(2007/05/03登城して)
ギャラリー
天守台跡
天守台跡は国民宿舎桂浜荘の駐車場前にあり、その前に移築された石垣と立派な城址碑(石碑)があった。
天守台石垣の石?
天守台跡に、一部石垣の石があるとあったが、これがそう??
天守台上
天守台は展望台造成工事でかなり削られかなり狭い。何てことをするんだ(怒・怒)。今は、神社の祠が。
土塁
桂浜荘の駐車場にかなり良好な形で一部残っていた。これには感激した。背後は、絶壁になっている。
竜馬の姉・坂本栄の碑
坂本龍馬の坂本家は、長男権平直方をはじめ、長女千鶴、二女栄、三女乙女、そして末っ子の竜馬の二男三女がいた。
二女の栄は脱藩をもくろむ龍馬に刀を与え、自らその責を負って自刃したとの説がある。
尚、小説等で有名な龍馬を母親代わりになって育てた坂本家の「仁王」と呼ばれたのは三女の乙女(おとめ、とめ)である。