壱岐 勝本城(壱岐市勝本町)

本丸側面に一部残る石垣

秀吉の朝鮮出兵時に名護屋城から釜山の倭城を結ぶ兵站線の駅城

別名

武末城、風本城、雨瀬乞城(あませかねじょう)

所在地

長崎県壱岐市勝本町坂本触
【アクセス】
勝本港の南西に聳える小高い山が城跡(城山公園)なのですぐに分かると思います。山頂部(本丸下)まで車で登って行きます。本丸下に駐車場があります。

形状

山城(標高79m)

現状・遺構等

【現状】 城山公園
【遺構等】 曲輪、石垣、礎石、石碑、説明板

満足度

★★☆☆☆

訪城日

2015/07/14

歴史等

天正19年(1591)、豊臣秀吉は朝鮮出兵の本営を名護屋城に定め、朝鮮の釜山とを結ぶ兵站線として壱岐と対馬に出城(駅城)を築くことを命じた。そして、壱岐には勝本城、対馬には清水山城、撃方山城(うつかたやまじょう)が築かれた。
壱岐の出城としては大陸との交通の要路に当たる勝本港に臨む城山の地が選ばれ、秀吉は、平戸の松浦鎮信にその築城を命じ、それと共に有馬晴信、大村喜前、五島純玄の三氏にこれを支援させることとした。
工事は昼夜兼行で行われ同年内に完成し、勝本城には秀吉の弟・秀長の家臣本多正武が500の兵を率いて入部し、慶長3年(1598)に至るまでの7年間、全島の治安と武器・兵員輸送の責任者として在城した。
そののち、秀吉の死去によって朝鮮出兵が終息すると、勝本城もその役目を終え、やがて破却された。
『「日本城郭大系17」、「対馬で入手のパンフレット」他参照』

現況・登城記・感想等

秀吉の朝鮮出兵時の城であり、しかも前日に対馬の清水山城跡を登城したあとだったので、非常に期待して登城しましたが、残念ながら少々期待外れでした。
勝本城の見どころといえば、山頂部本丸側面に残る石垣の一部と枡形の石垣くらいです。
また、北隅には展望台がありますが、周りの木々に邪魔されて見ずらい上、対馬と較べると島の形が単調なこともあり景色ももう一つです。
(2015/07/14登城して)

ギャラリー

本丸下に設置された説明板ほか
車で本丸下まで登って行くと駐車場があり、そこには勝本城に関する説明板があります。写真右に本丸までの道がありますが「←秀吉の大石垣」の案内板に従って左へ向かいます。
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本丸への石段
左へ廻って行くと、城山公園(本丸)への石段があり、その脇と石段の上に石垣が見えます。
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本丸側面の石垣
石段脇の石垣です。駐車場のところの案内板に「秀吉の大石垣」とあっただけに、かなり大きな石が使われています。高さ3m、長さ10m弱くらいです。
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枡形石垣の北端部
先程の登城口から登って行くと、石垣が見えて来ます。北大手門の枡形の北端部の石垣ですが、なかなか良好に残っています。
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北大手門枡形
北大手門の枡形石垣は、城の規模の割に随分大きいです。
枡形

城山稲荷神社
枡形の横(東側)には稲荷神社が鎮座しています。文禄の役(1592)が始まるとともに、壱岐の各地で秀吉率いる軍の海上安全と戦勝祈願が行われ、当稲荷神社も天正20年(1593)に祀られました。
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本丸跡
本丸は楕円形で、長径80m、短径50mほどでしょうか。周囲に土塁などは設けられていなかったようです。
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礎石?
本丸跡(特に南西部)には、建物の礎石のような石が幾つも確認できます。
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本丸南東部側面の石垣跡?
本丸南東部にも、石垣跡でしょうか、土壇の中に多くの石が確認できます。
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展望台からの眺望
本丸の北隅(稲荷神社脇)に展望台があります。北方面は、それなりに見晴らしは良いのですが、対馬と違い島の形が単調なこともあり、景色はもう一つといった感じです。
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