一の丸虎口石垣
秀吉の朝鮮出兵時に名護屋城から釜山の倭城を結ぶ兵站線の駅城
所在地
長崎県対馬市厳原町西里
【アクセス】
対馬市役所前の道を西へ進むと、右前方に復元された金石城大手櫓門があります。櫓門前に広場があり駐車できます。櫓門をくぐり道なりに歩いて行くと、清水山城跡への案内板があるので、それに従って行けば分かります。
所要時間
金石城大手櫓門から一ノ丸山頂まで約40分。見学所要総時間は1時間30分。
形状
山城(標高206m)
現状・遺構等
【現状】 山林(国指定史跡)
【遺構等】 曲輪、石垣、虎口、説明板
満足度
★★★★★
訪城日
2015/07/13
歴史等
清水山城は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の天正19年(1591)に、軍監毛利高政によって築かれた。
清水山城は名護屋城(唐津市)、勝本城(壱岐市)と結ぶ兵站線の駅城で、この延長に上対馬の撃方山城(うつかたやまじょう)があり、朝鮮の釜山にも倭城があった。
毛利高政は秀吉の命を受けて国内兵力の動員に当たるとともに、軍監として対馬に来て渡海する各軍団の監督に当たったもので、名護屋城と朝鮮を往来した。
この戦役に島主宗義智は島内の兵2千を率いて小西行長の軍に加わったが、朝鮮の地理と民情に通じていたので、常に先陣にあって和戦両面に活躍した。
『「現地説明板」、「日本城郭大系17」、「歴史と旅・日本城郭総覧(秋田書店刊)」参照』
現況・登城記・感想等
清水山城は、厳原町の西に聳える清水山に築かれた山城で、山頂部に一の丸を置き、東へ延びる尾根上に二の丸、三の丸を連郭式に設けています。
清水山城は総石垣造りで、各曲輪は勿論、それら曲輪を結ぶのも登り石垣になっており、まさに石垣のオンパレードですw(*゚o゚*)w。
そして、各曲輪には石垣造りの枡形虎口が良好に残っています。
さらには、それらの石垣群に加えて、曲輪内に累積する巨大な岩石群がその感を極め、圧倒されるような迫力があります。
また、各曲輪から見下ろす厳原の町並みと港の眺めは絶景です。
登城前は、秀吉の命によって築かれた城でもあり、それなりに期待はしていましたが、まさかこれほどとは想像だにしませんでした。
さすがに、本営の名護屋城と較べると規模は小さいですが、これほど素晴らしい城跡とは・・・。すっかり満足して下山しました(*^_^*)。
(2015/07/13登城して)
ギャラリー
【登城記】
今日は、金田城跡に続いて2つ目の山城への登城です。昨夜は0時過ぎに福岡港をたち、今朝4:40に厳原港到着、そのまま船内で7時まで眠ったあと、レンタカーを借りて一番目の本命の城「金田城」へ登りました。金田城は3時間半の見学となりました。そして、いよいよ本日2つ目の本命の城めぐりです。金石城大手櫓門前の空地に車を停めて登ります。
清水山城遠景
金石城櫓門を入ったところから清水山城跡を撮ったものです。二の丸石垣がよく見えます。
頭上に三の丸石垣が
大手櫓門のところから道なりに歩いて行くと、清水山城への案内板が何箇所かに設置されています。案内板に従って登って行くと、途中、「遊歩道・二の丸350m」と「三の丸110m」の分岐点へ出ますので、三の丸を目指して3分ほど登って行くと頭上に石垣が現れます。三の丸南西面の石垣です。
三の丸南西面石垣
少し登って左(西)の方を見ると、北西の方へ長く延びる石垣が見えて来ます。中には、かなり大きな石が使われています。これらの石垣が見えて来た時点で、胸がワクワクしてきました(*^_^*)。
三の丸南西隅の虎口石垣
三の丸への虎口は、少し分かり辛いのですが枡形になっているような気もしますが、果たして・・・。
三の丸からの眺望 ~画面をクリックにて拡大~
三の丸南西隅の虎口脇から撮ったものですが、眼下に広がる厳原の町並みと山々が入り組んだ海の光景はまさに絶景です。右下には金石城大手櫓門も見えます。
三の丸
三の丸の中央部は巨岩だらけで、平坦地はその周囲だけです。巨岩の中に、幾つか石碑が混じっており「宗家御慶事紀念躑躅」と刻まれたのを見付けました。
三の丸中央部石塁と虎口(三の丸上から撮影)
三の丸を北西へ向かって歩いて行くと、左手に石塁が現れます。石塁には切れ目がありますが、ここは三の丸のもう一つの虎口です。遺構の形からみて、ここには多門櫓のような建物が建っていたのでしょうか?
三の丸中央部石塁と虎口
上写真の虎口から降りて行って撮ったものです。この辺りの石垣は、実に良好に残っています。
三の丸北西端部の石垣
三の丸上に戻り、さらに北西へ向かって登って行くと、行く手を遮るような石垣が現れます。ここが三の丸の北西端になるのでしょうか。
登り石垣
石垣脇を通り抜けて、さらに北西へ向かって尾根上を歩いて行きます。尾根は、しばらく平坦ですが、徐々に急坂になっていきます。尾根の両側には全て石塁、その側面には石垣が設けられていて「登り石垣」のようになっています。
二の丸への最後の急坂
二の丸が近づいてくると、いよいよ強烈な坂になり、前方上の方に二の丸虎口の石垣が見えて来ます。朝から金田城跡を登ったあとだけに、Y本君は、少しバテ気味です。
二の丸虎口
二の丸虎口の手前は強烈な坂(崖が正解かも?)で、虎ロープが設置されてます。
二の丸虎口脇北側の石垣
二の丸虎口脇の石垣も良好に残っています。この辺りの石垣は、一の丸の石垣とは違い典型的な織豊系の石垣です。虎口には、一応石段跡がありますが強烈な傾斜です
二の丸虎口脇南側の石垣
二の丸虎口の両側の石垣は、どちらも立派ですが、特に、この南側の大きな石が使用された石垣は見応えがあります。
二の丸枡形虎口
二の丸虎口は、見事な枡形虎口になっています。写真奥が、登って来たところになります。
二の丸からの眺望
二の丸虎口南側の石垣上から撮ったものです。もう少し前へ出て撮りたいところですが、真下は絶壁なので遠慮しました( ̄ー ̄;。
二の丸
二の丸は、三の丸と較べると岩は少ないものの、それでも平坦地は決して広くはありません。
二の丸石塁
二の丸も南北両側には石塁が確認できます。この石塁は、南側のものです。
二の丸南面虎口
二の丸には、南面にも虎口があります。虎口の西側(写真奥)の石垣は、まるで櫓台のような立派な高石垣です。
二の丸南面虎口の西側の石垣
上写真の櫓台のような石垣です。虎口から下りて行って撮りました。多少は崩れているものの、なかなか立派な織豊系石垣です。
二の丸南面虎口の東側の石垣
東側の石垣の方が、崩れが大きいですが、なかなか見応えのある高石垣です。山麓から見えるのは、この辺りの石垣のようです。
喰い違い虎口①
二の丸内を、さらに西へ向かって進むと、正面に喰い違い虎口が現れます。二の丸の西端になるのでしょう。
喰い違い虎口②
上写真を違う角度から撮ったものです。虎口手前の傾斜が結構あるのが分かると思います。
二の丸と一ノ丸間の登り石垣
喰い違い虎口を突入して一の丸へ向かいます。ここからは、やたらと大きな石だらけの道です。また、写真右のように石で造られたような溝がありますが、果たして人工的なものかどうかは分かりません。
二の丸と一ノ丸の登り石垣の南側の石塁
登り石垣の両側には石塁が確認できます。
一の丸東側虎口石垣
登り石垣を登って行くと正面に円形にめぐらした一の丸の虎口の石垣が現れます。この石垣は、比較的平たい石が多く使われており、明らかに二の丸や三の丸の石垣とは違います。
一の丸虎口手前北側の石塁
登り石垣の両側の石塁は、一の丸虎口まで延びて来ています。
一の丸(前曲輪)内へ
虎口から一の丸内へ入ると、奥にも虎口石垣が見えます。一の丸前面には虎口が2つあり、その間に曲輪がありますが、岩だらけです。勿論、一直線に奥の虎口まで突き進むことは不可能です。一の丸というよりも、一の丸前曲輪と称すべきかもしれません。
一の丸東側虎口を振り返る
一の丸内へ入ってから振り返って虎口を見たものです。下の方に厳原港が見え、ここが如何に高い場所にあるかが分かると思います。
一の丸2つ目(西側)の虎口石垣
一の丸の最初の虎口から曲輪内の岩場を廻るようにして2つ目の虎口へ至ります。こちらの石垣は、大きめの石もかなり使用されています。
一の丸内
一の丸2つ目の虎口を入ったところが正真正銘の一の丸ですが、こちらも岩だらけです。曲輪中央の山頂部(写真上)に楼の跡と思われる基壇がありますが、こちらへも真っ直ぐ登って行くことはできません。
山頂
上写真の左側を廻って三角点が立つ山頂へ登ります。ここが楼跡の基壇のようですが、決して広くはありません。
山頂からの眺望 ~画面をクリックにて拡大~
山頂からの眺望も素晴らしいです。写真中央に見える石垣は、先程、入って来た一の丸2つ目の虎口の石垣です。石垣の形からして、虎口南側(写真右側)には櫓でも建っていたのでしょうか。