四日市陣屋門
中津城主の不行跡による半地召し上げで天領となった四日市に築かれた陣屋
所在地
大分県宇佐市四日市
【アクセス】
桜岡神社の南側を通る道を、100mほど北西へ進み、路地を右折し60mほど行くと陣屋門が立っています。
桜岡神社:宇佐市四日市、電話0978-33-2590
形状
陣屋
現状・遺構等
【現状】 市街地
【遺構等】 陣屋門、土塀、石碑
満足度
★☆☆☆☆
訪城日
2011/11/28
歴史等
四日市は中津城主小笠原氏の所領であったが、元禄11年(1698)藩主長胤の不行跡によって8万石の領地を減じられ、残り4万石を公領として召し上げられた。四日市には岡田庄大夫が代官に任命され、同13年(1700)に陣屋が築かれた。
その後、正徳3年(1713)天草代官支配を経て、享保5年(1720)より日田代官の支配下に置かれ、明治まで幕府天領支配が続いた。
『日本城郭大系16参照』
現況・登城記・感想等
四日市陣屋は、今では市街に埋もれてしまい、陣屋門と石柱が立っているだけです。門の向こう(北側)はテニスコートになっていましたが、そこから国道10号線まで一帯が陣屋跡でしょうか。
尚、戦国期にあった四日市城は、特定されてはいないが、この周辺一帯にあったようです。
(2013/11/28訪れて)
ギャラリー
陣屋門内側から