薩摩 出水城(出水市)

出水城跡遠望

薩州島津家の本城

読み方

いずみじょう

別名

亀ヶ城、花見ヶ城、和泉城

所在地

鹿児島県出水市麓町(出水麓武家屋敷群の南の山)

形状

平山城(標高約80m、比高約40m)

現状・遺構等

【現状】 城山公園墓地、山林
【遺構等】 曲輪、土塁、空掘、石塁、井戸、標柱、説明板

満足度

?????

歴史等

出水城は、建久年間(1190~1199)に和泉兼保(伴姓和泉氏)によって築かれたと伝えられる。
南北朝期に、島津忠氏(島津系和泉氏の祖)が伴姓和泉氏に代わって出水城に入った。
室町期に入って応永24年(1417)、川辺松尾城の戦いで5代直久が戦死し、嗣子がなかったため和泉家は断絶した。
その後、享徳2年(1453)、島津氏10代忠国の弟・用久が薩州家を興し、出水城を本拠とし栄えた。
しかし、7代当主忠辰が朝鮮出兵に際し豊臣秀吉の怒りを買い改易され、忠辰が朝鮮在陣中に病死したため、薩州家はその所領を失い、同時に出水城は廃城となった。
『日本城郭大系18他より』

現況・登城記・感想等

出水麓を見終えて、次は出水城へ・・・。出水城は、「出水の御城一段結構の御城の由」といわれるほど規模が大きく立派な城だったそうで、それなりに遺構も残っているらしい。
出水麓武家屋敷群の南西端に立つ案内板で場所は確認でき、歩いて登れる道は見付かったが、もう既に夕方で薄暗くなりかけている。車で行く道を散々捜したが見つからず、城跡の山を写真に収めるだけになってしまった(/。ヽ)。
(2012/11/15)

ギャラリー

出水麓と出水城(亀ヶ城)の位置
出水麓武家屋敷群の南西端(大型バス降車場)に立つ案内板で、出水麓の南の山が出水城跡(亀ヶ城跡)であることは分かったが・・・。

IMG_6280

登城道(城山道)
大型バス駐車場の南にある「交流ハウス和」の横の道が歩行者用の「城山道」であることが分かったが、車で登れる道が見つからず登城を断念(/。ヽ)。
ところで、石柱に刻まれた「やんのうしと」って何でしょうか? ご存じの方はいませんか??

IMG_6279

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コメント

塩田秀雄(2023/01/15)

出水麓に先日行きました。鹿児島県内、甑島という所のものです。
交流ハウス和の角の標柱、さすがに出水ではないので解りかねましたが、地図を見て解明。「屋地の後」の訛りです。せめて「やちのうしと」「やんの後ろ」くらいなら分かるかもしれませんが。屋地は御仮屋の敷地(地頭所)を指すと思います。地頭屋敷の裏筋です。鎌倉期ではなく江戸時代の薩摩藩から派遣された地頭の屋敷裏です。
Facebookをしています。

タクジロー(2023/01/19)

塩田さま
法事のため14日から実家へ帰省しており、返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
当サイトへの訪問とコメント&ご丁寧な説明を頂きありがとうございます。
お陰で納得できました。
今後とも宜しくお願い致します。

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