アルカサル(セビージャ)

ヒラルダの塔から見下ろすアルカサル

残酷王・ペドロ1世が築かせたアルハンブラ宮殿に匹敵する城

スペイン語名

Alcázar de Sevilla

所在地

アンダルシア州セビージャ県セビージャ

訪城日

2009/03/27

歴史等

【古代ローマ時代】
セビリャは他の古代都市、例えばアテネ、スパルタ、コリント等々のようにアクロポリス(城壁で防備された丘)を持っていた。その場所は、現在のアルカサルによって占められている場所にほぼ位置している。
セビリャの起源は古く、中世まではギリシャ神話のヘラクレスが建設したと信じられてきたが、実際の都市建設はイベリア半島がローマ化された時代に始まる。
紀元前1世紀にカエサル(ジュリアス・シーザー)がヒスパリス(Hispalis)と命名し、ローマの自治都市として、城壁を更に堅固にした。
豊かな農業経済に支えられたヒスパリスは、オリーブをローマに輸出し、コルドバに次いで繁栄した。
【西ゴート王国の時代】
ローマ時代以後、バンダル族やスエビ族の支配を経て、西ゴート王国成立当初(441年)は、その首都であった。西ゴート族の征服下で、城砦・城壁は存続して改築を重ねていった。
【イスラムの時代】
712年、イスラム教徒に征服され、11世紀にはイスラム王国の首都となり、カリフ朝(後ウマイヤ朝)王国の首都コルドバと経済的繁栄を競った。この時、アブデラマン2世は城砦の更に著しい増強と拡張をした。こうして初期のアルカサルが出現したが、今は僅かにシリアの壁を壁を残すのみとなった。
10世紀に入ると、独立派によって起こされた運動は、やがてコルドバの強権に対する謀反へと発展したが、その結果、降伏することとなり、城壁は破壊され、統治者の宮殿が建てられた。
【タイファの時代】
カリフ朝王国が11世紀初めにタイファ王国という小侯国に分裂割拠すると、セビリャを首都として現れたタイファは、周辺のタイファを吸収し、セビリャ王国を築いた(1023~93)。そして、この時、都市の中心や周囲にアルカサル網と云うべき防御建造物が次々と建てられ城塞群が出現していったが、その後、王国の滅亡とともに放棄され廃墟となった。
その後も、要塞が築かれたり、或いは破壊を繰り返した。
【ムワヒッド朝時代】
12世紀、北アフリカに勢力を持っていたイスラム教徒の一派アルモアデ族がスペイン南部を制圧し、アルモアデ帝国(ムワッヒド朝)を築くが、イスラム都市セビリャの経済的繁栄は13世紀に頂点に達した。この時、白亜の夢の宮殿アルカサルが出現したが、12世紀末には一部が破壊された。
【レコンキスタ~】
1248年、カスティーリャのフェルナンド3世はセビリャを奪回し、アルカサルを改築していった。中でも、1350年に即位した”残酷王” ペドロ1世は、スペイン各地からイスラム職人を呼び寄せ、グラナダのアルハンブラ宮殿を彷彿とさせる宮殿を造り上げた。イスラム文化に心酔していたペドロ1世は、イスラムの服装をまとい、宮廷内ではアラビア語を使うことを命じたという。
【ハプスブルク朝時代】
16世紀、スペイン最大の商業都市に発展したセビリャは、スペイン黄金世紀の文化の中心でもあった。
大航海時代の立役者マゼランやベスプッチはセビリャ港から航海に出た。
【ブルボン朝時代以降】
19世紀初頭のナポレオン軍の侵入に対して、市民は勇敢に戦い「英雄的都市」の名誉を得た。
19世紀後半には、農産物の大市場と関連産業の形成によって人口が急増し大都市化した。
1936年7月18日に始まったスペイン内戦では、反乱軍によってその日のうちに制圧され、反乱軍の重要な拠点となった。
『「スペイン・ポルトガルを知る事典(平凡社刊)」、「SEVILLA・Jose Guerrero Lovillo著(Mateu Cromo.S.A刊)」、「地球の歩き方・スペイン(ダイヤモンド社刊)」より』

現況・登城記・感想等

Sevillaは、セビージャと発音するのだそうで、セビリヤ、セビリャ、セビーリャなどと言ってもスペインの人には分からないそうだ。スペインというとアンダルシアの光り輝く国を想像するが、セビージャは、その州都でありスペイン第4の都会である。
まだ3月末だというのに、真っ青な空のもと32℃という暑さであった。
残念ながら、このアルカサルも今回のパック旅行のコースには入っていなかったが、カテドラルに聳え立つヒラルダの搭の上から眺めるセビージャの街とアルカサルの光景は良かった。
また、サンタクルス街を散策するのに城壁や搭の多くを見て廻れたのはせめてもの慰めだった?
(2009/03/27訪れて)

ギャラリー

アルカサルの城壁と塔①
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アルカサルの城壁と塔②
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アルカサルの城門
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アルカサル
上写真の城門を入って行くとアルカサルの建物が見えてくる。写真奥から入城できるようだが、残念ながら、今回のコースには入っていない。右建物も、もともとはアルカサルの一部であったそうだが、今は住宅になっているそうだ。
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広場
アルカサルとカテドラルの間の広場には多くの馬車が・・・。
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カテドラルとヒラルダの搭
1401年の教会参事会で「後世の人々が正気の沙汰ではないと思うほどの巨大な聖堂を建てよう」という決定がなされ、モスクの跡地に建設を開始し、約1世紀後の1519年に完成した。
スペイン最大、ヨーロッパでも、ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ規模を誇る。高さ97mのヒラルダの搭はセビージャのシンボルである。12世紀末、イスラム教徒のアルモアデ族によりモスクの尖搭として建設されたものである

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ヒラルダの搭からアルカサルを見下ろす①
高さ70mの展望台まで緩やかなスロープを登って行くが、一体何周くらいして登ったのだろう?結構時間が掛かった。展望台から360度見て廻れる眺望は素晴らしい。アルカサルは広場を挟んですぐ前に見える。
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ヒラルダの塔からアルカサルを見下ろす②
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ヒラルダの搭からの眺望(闘牛場ほか)
セビージャは闘牛の盛んな都市だそうだ。円形の立派な闘牛場が見える。
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カテドラル内部
カテドラル内は、絵画・彫刻・ステンドグラス・祭壇・金銀細工等々見どころ一杯!
金色に輝く祭壇(左)とコロンブスの墓所(右)等々
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【サンタクルス街&スペイン広場&闘牛場】
セビージャは歴史が古い上、大都会であり、見所が多い。「アルカサル」や「カテドラル」の他にも、「サンタクルス街」と「スペイン広場」・・・。そして闘牛場もなかなか華やかだ。
(サンタクルス街散策)
アルカサルの北側に広がる、かつてのユダヤ人街である。1492年にユダヤ人が追放されてからは、セビージャの貴族が住みついた。白壁の家々が立ち並ぶ迷路のような細い道の散策は楽しい。所々に広場があり、飲み物や音楽を楽しむ市民でいっぱい。
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(アルカサルの搭・城壁)
サンタクルス街を散策していても、いたるところに城壁や搭が見える。
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(スペイン広場)
スペイン広場は、かつてサン・テルモ宮の庭園の一部であったマリア・ルイサ公園内にある。1929年に開かれたイベロ・アメリカ博物館の会場として建築家アニバル・ゴンザレスによって造られた。
建物のアーチの下には、スペイン各県の特徴や歴史が描かれた58のタイル画があり、ベンチが置かれている。

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(マエストランサ闘牛場)
セビージャはスペインの中でも闘牛の盛んな地だそうで、華やかな闘牛場が建っている。
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