タリン(タリン市)

タリン旧市街北西の城壁と塔

周囲を強大な城壁で取り囲んだバルト三国屈指の城塞都市

エストニア語名

Tallinn

所在地

エストニア ハリュ県 タリン

形状

城塞都市

歴史等

タリンには少なくとも11世紀にはエストニア人による砦が築かれていた。
しかし、バルト地方で十字軍騎士団の動きが活発になると、これに呼応したデンマーク王によって、1219年に砦は占領され、トームペアの丘に城が築かれた。エストニア人は、これを’Taani Kinn(デンマーク人の町、城)と呼び、現在のタリンの名の由来になったと伝えられている。
その後はドイツ人の入植が進み、13世紀半ばにはハンザ同盟に加盟し、ロシアとの貿易の中継点として活気を呈した。
しかし、16世紀のリヴォリア戦争で商業都市としてのタリンの繁栄は終わりを告げた。
その後、スウェーデン・ロシアと続く支配の時代には、城塞都市としての性格を強めることになった。
そして、ソ連の占領による閉塞の50年を経て、1991年に独立を回復し、再び、中世ハンザ都市の賑わいをよみがえらせている。

【城壁について】
タリンに最初の城壁が造られたのは1265年。この年に、デンマークのマルガレータ女王が町の守りを固めようと定め、下町を囲む城壁の建設が始まった。
中世タリンの防御体制は、2つの独立した部分から成っていて、トームペアの要塞と下町の防御施設とがあった。
町の城壁は、完成しては修復という具合に繰り返された。それは武器の発展に対応して6世紀もの間続いた。
中世タリンの下町の城壁は本格的で、16世紀初頭の頃は北欧全体の防御システムの中でも最も強力で、城壁全体の長さは2.35km、高さは最高15.9m、厚さ最高3mもあった。1530年代には、タリンの下町には合計46もの防御塔が存在した。
16世紀に勃発したリヴォイア戦争が原因で、要塞はさらに強化された。
さらに、17世紀のスウェーデン統治時代には、多くの稜堡建設がなされた。
城壁の補強は、何世紀にもわたり継続的に行なわれたが、17世紀以降はもう町を守る能力は低下し、城壁も防御の目的を失っていった。
『「現地購入誌・タリン」、「地球の歩き方・バルトの国々」ほか参照』

現況・登城記・感想等

タリン旧市街は、約2.5kmの城壁に囲まれていた城塞都市で、支配者や貴族たちが居を構えた山の手の「トームペア」と、商人や職人たち市民が住んだ「下町」に分かれていました。
現在も、城壁は1.85kmが残り、城壁に付随する塔も27基が残っています。
中でも、ヴィル門の北からムーリヴァエ通り沿いに北へ延びる城壁と旧市街北西側のラボラトーリウミ通り沿いの城壁は良好に残り往時の姿をよくとどめており、一部、塔や城壁に登ることが出来ます。
また、旧市街の北端にある「太っちょマルガレータ」の塔は、現在、海洋博物館になっており入館でき、また屋上からはタリン港が目に前に見えます。
タリンはバルト三国の中で、最も中世の面影が色濃く残る美しい街です。
旧市街の中心にあるラエコヤ広場から四方八方に延びる小路を、中世の建物を眺めたり、ショッピングや食事などをしながら楽しく散策できます。
勿論、城壁の回廊を歩いたり、塔に登ったりするのも・・・。
(2015/06/19、6/24訪れて)

ギャラリー

タリン旧市街絵図(現地購入誌より) ~画面をクリックにて拡大~
タリン旧市街の絵図

【城壁・塔・門】
タリン旧市街は、約2.5kmの城壁に囲まれていた城塞都市で、城壁に付随する塔が46基ありました。また、下町には6つの城門(外門)とトームペアとの間に2つの門塔がありました。現在も、城壁は1.85kmが残り、城壁に付随する塔も27基残り、改変されてはいるものの2つの城門(外門)が残っています。
旧市街下町の東に位置するヴィル門から左廻りに紹介していきます。
ヴィル門
旧市街の東側に位置するヴィル門は、14世紀に建設された強力な複合建築でしたあ。今では2つの塔が残るだけですが、それは前門の一部で、ヴィル門の主要な塔と外濠の門は19世紀に壊され、前門の角の丸い塔と門の前の稜堡が現存しています。
今日、ヴィル門は下町への最も重要な入口で、その周辺は旧市街で最も人通りの多い場所の一つです。
ヴィル門

【タリン旧市街・下町の東側城壁と塔】
ヴィル門の北からムーリヴァエ通り沿いに北へ延びる城壁
ヴィル門の北からムーリヴァエ通り沿いに北へ延びる城壁は、旧市街北西のラボラトーリウミ通り沿いの城壁と共に、良好に残り往時の姿をよくとどめています。城壁には、3つの塔が残っていますが、その内、ヘレマン塔(写真左奥)とムンカデタグネ塔は、一人3ユーロかかりますが登ることができ、城壁の回廊を歩くこともできます。
東側の城壁

ヘレマン塔からの眺め
ヘレマン塔の上からは、下町越しにトームペアも見えます。
ヘレマン塔からの眺望

旧市街東側城壁上の回廊①
回廊からは見晴らしもよくて気持ちいいです。回廊の奥に見えるのはムンカデタグネ塔で、その左に見えるのはオレヴィステ教会の尖塔です。
東側城壁回廊1

旧市街東側城壁上の回廊②
城壁の回廊は、一部、木の板の上を歩く箇所があり、板の隙間から下が見えて、ちょっとばかり気味悪いです
タリン旧市街城壁回廊

旧市街東側城壁③
回廊の奥に見えるのはヘレマン塔です。
東側城壁回廊2

ブレーメン塔
ブレーメン塔には屋根がありません。右に少し見える建物は、ニコライ聖堂です。
ブーメラン塔

ブーメラン塔の北の城壁
何とも武骨で重厚感があります w(*゚o゚*)w。
ブーメラン塔北の城壁

【ふとっちょマルガレータ周辺(旧市街北端部)】
稜堡
太っちょマルガレータの南西に稜堡の跡が残っています。写真の奥に見えるのはオレヴィステ教会の尖塔で、右奥に見えるのはシュトルティング塔です。
稜堡

ふとっちょマルガレータ(左奥の塔はシュトルティング塔)
16世紀初頭(1529年)、大海門(スール・ランナ門)を再建する際、港と町の最も重要な出入口を守るために、直径25m、高さ22m、壁の厚さ4~6mにもなる蹄鉄型のがっしりとした砲塔「ふとっちょマルガレータ」が築かれました。砲弾が発射されなくなってからは、倉庫や兵舎、監獄としても使われました。そのユーモアのある名前は、全ての塔の中でも直径が最大であったことから船乗りたちに名付けられたとも、塔が監獄として使われていた頃に囚人たちから慕われていた食事の切り盛りをする太ったおかみさんがいて、彼女の名前がマルガレータということに由来するとも伝えられています。
太っちょマルガレータ

海洋博物館となっている太っちょマルガレータ
太っちょマルガレータは、1917年にロシア革命の混乱時に火災に遭い、廃墟となったが、その後修復され、現在は海洋博物館になっています。
海洋博物館1
海洋博物館2

太っちょマルガレータ塔からシュトルティング塔とオレヴィスト教会を
太っちょマルガレータ塔は屋上まで登れます。屋上は喫茶テラスになっています。
シュトルティング塔

太っちょマルガレータ塔からタリン港方面を
太っちょマルガレータの屋上からは、目の前にタリン港が見え、この砲塔が如何に重要であったかが分かります。
太っちょマルガレータからの眺望

大海門(スール・ランナ門)
大海門は、下町に設けられた板6つの門の中で、ヴィル門とともに現存する門です。下町でも最も重要な門で、1359年から記録が残っています。
大海門

【タリン旧市街・下町北西面の城壁と塔】
旧市街・下町の北西面のラボラトーリウミ通り沿いの城壁は、ヴィル門の北からムーリヴァエ通り沿いに北へ延びる城壁と共に、良好に残り往時の姿をよくとどめています。城壁には、10前後の塔が残っていますが、一部の塔や城壁に登ることができます。
北西面北側の城壁と3つの塔
当写真は城外(塔の広場)側から撮ったものです。左奥からグルスペケタグネ塔、エッピング塔、プラーテ塔です。
01プラーデ塔・エッピング塔・グルスペケタグネ塔

グルスペケタグネ塔
城壁の内側に沿ったラボラトーリウミ通りから撮ったもので、左写真は北側から、右写真は南側から撮ったものです。左写真の奥に見える塔はエッピング塔です。
03グルスペケタグネ塔1
03グルスペケタグネ塔2

グルスペケタグネ塔へ登る
グルスペケタグネ塔へは急な石段を登って行けます。2階はちょっとした美術品の展示室になっていて、若き芸術家が自作の作品を販売しています。
IMG_7810
 IMG_7811

さらに上へ・・・
2階からさらに上へ登って行けますが、さらにきつい石段の上、狭い。石段にはロープが設けられていますが、ロープなしで登り降りするのは大変でしょう。当写真は、石段の上から撮ったものです。
IMG_7820

グルスペケタグネ塔の最上階の天井を
最上階の円錐形に延びる天井の梁がかっこいいです。最上階にも、いろんなものが展示されていますが、何故か全大陸の動物の飾り物?(彫像?)が展示され、アジアは日本の「蛙の家族」、「牛の家族」、「山羊の家族」、「朱鷺の家族」、「烏賊の家族」・・・・。
IMG_7816
IMG_7817

エッピング塔とプラーテ塔
手前からエッピング塔・プラーテ塔・縄の丘の塔です。
エッピング塔

プラーテ塔
手前がプラーテ塔、奥が縄の丘の塔です。プラーテ塔にも登れるようでしたが止めました。
プラーテ塔

プラーデ塔脇の旧市街地・下町への出入口
プラーデ塔の南側は城壁が壊され旧市街地の出入口になっています。後世に交通上の便からでしょう。
01プラーテ塔脇の出入口

タリン旧市街・下町北西北側の4つの塔 ~画面をクリックにて拡大~
手前から、「縄の丘の塔」、「プラーデ塔」、「エッピング塔」、「グルスペケタグネ塔」で、TOP写真と同じです。
タリン旧市街には27の塔がありますが、4つ以上の塔が同時に見えるのは、塔の広場から旧市街北西の4つの塔を眺めるこのアングルだけです。現地購入誌や地球の歩き方に4つの塔が同時に写った写真がありましたが、この場所を捜すのに苦労しました。
03北西部4つの塔

ルーベンシェーデ塔と修道女の後ろの塔
左手前に一部見える塔が「縄の丘の塔」で、やや右の塔が「ルーヴェンシェーデ塔、その右奥が「修道女の後ろの塔」です。この付近の城壁は、多くの窓があり、今も住んでいる人がいるようです。
05ルーベンシェーデ塔ほか

黄金の足の塔
右から「黄金の足の塔」、「修道女の後ろの塔」、「ルーヴェンシェーデ塔」です。何かの行事(夏至祭?)があるようで、舞台が準備されてました。
07黄金の足の塔他

修道女の塔(右)とサウナ塔
木々などに阻まれて見えませんが、「修道女の塔」と「サウナ塔」の間は、旧市街・下町への出入口の門があります。但し、これも交通上の便から、後世に改変したもののようです。
09修道女とサウナ塔

修道女の塔(左)とサウナ塔の間の門(内側から)
11修道女塔脇の出入口

修道女の塔前からサウナ塔、黄金の足の塔、修道女の後ろの塔を(内側から)
旧市街・下町には可愛らしいトラムが走っています。この付近の城壁も登れるようでしたが、時間の関係で止めました。
13修道女の塔脇の出入口

【旧市街・下町の見どころ】
タリンはバルト三国の中で、最も中世の面影が色濃く残る美しい街です。旧市街下町の中心にあるラエコヤ広場から四方八方に延びる小路を散策して、中世の建物を眺めたり、ショッピングや食事などをするのは楽しいです。
下町には多くの見どころがありますが、主だったものだけ紹介します。本当は見逃しが多かったのです( ̄ー ̄;。
ラエコヤ広場
ラコエヤ広場はタリン旧市街・下町の中央に位置します。この辺りではデンマーク王がトームペアに城を築く以前から、スカンジナビアの商人たちが市場として存在していました。それ以来、1896年まで市場として機能し、この広場を中心として町が広がっていきました。 ラエコヤ広場は、祭りや結婚式などの行事、まれに在任の処刑も行われたといいます。今も野外コンサートやクリスマスマーケット、カーニバルなどが催されています。。
ラエコヤ広場

旧市庁舎
北欧に唯一現存するゴシック様式の中世の旧市庁舎です。高さ61.5mのほっそりとした塔の頂上からは1530年以来、監視兵の形をした銅製の風見が町を見守っています。その風見は、タリンのシンボルともなっている「トーマスおじいさん」です。
旧市庁舎の正面には、銅で造られた2つのドラゴンの頭をした雨樋が突き出ています。

タリン旧市庁舎 タリン市庁舎ドラゴン

聖ニコラス教会(ニグリステ教会)
船乗りの守護聖人、聖ニコラスを祀る「聖ニコラス教会(ニグリステ教会、Niguliste kirik)」です。聖ニコラス教会は中世のゴシック様式ですが、17世紀の改築部分はバロック様式になっています。ナチス・ドイツの占領下だった1944年3月、連合軍の爆撃によって破壊されましたが、戦後に残された外壁などを使って再建されました。1984年からはコンサートホールとして使われていて、ほぼ毎週オルガンの演奏会が開催されます。博物館にもなっていて、14世紀の建築用具やレリーフが展示されています。
聖ニコラス教会 聖ニコラス教会2

聖ニコラス教会(ニグリステ教会)の展示品
展示品は点数こそ少ないが貴重なものが多い。中でも、ベルント・ノヘの「死のダンス」とヘルメン・ローデによる「主祭壇」が見ものなのだそうです。尚、今回は、めったに公開されないという、主祭壇の一番内側の40体の聖人像も見ることができました。
死のダンス
ベルント・ノトケによって描かれた15世紀の「死のダンス」は必見で、縦1.6m、横7.5mのカンパスに生者と死者がダンスを繰り広げる様子が描かれています。
死のダンス

主祭壇
15世紀のリューベックの職人ヘルメン・ローデによる主祭壇も宝物の一つで、二重の観音開きの構造になっており、聖ニコラスと聖ヴィクトルの生涯を描いた第2面が開かれています。
主祭壇

最内面の40体の聖人像
今回は、めったに公開されないという、主祭壇の一番内側の40体の聖人像も見ることができました。
40体の聖人像

ニコライ聖堂
1827年に建築されたニコライ聖堂はクラシック様式の教会で、15世紀初頭にはすでに同じ場所に教会が存在していたそうです。新しく建築された教会には、ロシアの支配者からの寄付金により芸術的価値の高いイコンがもたらされたそうです。
ニコライ聖堂

聖霊教会
市庁舎及び聖霊教団救貧院の礼拝堂として、14世紀初頭に記録が残されている古い教会で、14世紀半ばには塔を伴う現在の姿がほぼ整ったそうです。大時計は1684年製で、タリンで最初に取り付けられた公共の時計です。
聖霊教会

オレヴィステ教会(聖オレフ教会)
旧市街・下町北部にあるオレヴィステ教会は、高い塔が多く立つタリンでも最も高く、尖塔の高さは124mあります。このゴシック様式の教会は13世紀半ば、この辺りに住んでいたスカンジナビア商人たちのために建設されました。その後、何度も雷で焼け落ちたあと、1840年に現在の姿に修復されました。中世には159mの高さを誇り、1549年から1625年までの間、この尖塔は世界一高い建造物だったそうです。
オレヴィステ教会

三人姉妹(The Three Sisters)
15世紀に建てられた住宅(商家)の集合体で、美しく飾られたファザードが女性的な雰囲気を持つことから「三人姉妹」と呼ばれています。かつては下層が商館、中層が居住スペース、屋根裏が倉庫となっていました。壁を見てみると棒が突き出ています。これは、荷物を屋根裏まで引き上げるクレーンの名残です。この建物は2003年に内装がリフォームされ、現在は中世の雰囲気を楽しめるホテルとして営業しています。
三人姉妹

カタリーナ・ギルド通り
「タリンで最も中世を感じられる場所」とも言われる「聖カタリーナの小径です。何とも、風情のある路ですね。
カタリーナの通路

短い足の通りと門塔
下町と山の手(トームペア)を連結する石段の」道で、短い足の門塔は、通りを登り切った下町と山の手(トームペア)の境のところに建てられました。一方、「長い足の通り」も下町と山の手を連結しているが、こちらの坂道は、かなり広く、主に荷引き馬や馬車の通り道として使われていた。
短い足の通り

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